佐藤巧君は、’06年晩秋に急逝されました。
ここに弔意と、彼の生前の仕事に敬意を表し、
ご冥福を衷心よりお祈り申上げます。
人は情報がなにより好きである。そして脳ミソ筒いっぱいにためこんで食傷気味である。頭が破裂しそうになって気のふれる寸前の人がいる。洪水のように迫り来る情報を一つでも逃してなるものかと欲ばれば心身ともに疲れてくる。筆者など振り回されるほうだからもう結構という気になってくる。だがようく見れば、この膨大な情報は重複しているだけではないか。よく耳目をこらせば、なあんだおんなじ事を言っているではないか。
たくさん仕入れたら、その分別に賢くなるわけでもない、情報をかき集めても、金儲けがうまくいくわけでもない。なのに狂奔させられる。複雑怪奇きわまる今の世では、情報を食べ続けなければ不安なのであろうが、結局は、その情報を消化できずに重篤な食あたりを起こしている。そんなこと送り手側の知ったこっちゃないだろうが、送り手だって因果はめぐり自家中毒をきたしているのだ。重複かつ量が多すぎる。情報にも色々ある。それなら我らは我ら自身で情報を漉し取る器、フィルターを持とう。昔の親は、新聞はうそ本当醜聞こきまぜて書くから、子供に読むのを禁じたというが、そのようなスタンダードを持つべきである。しかしそのようなスタンダードは今どこに見出せるだろう。情報の受け手はそれを喪失して久しいように思われる。我らは無理やり口をこじあけられエサを流し込まれているアヒルのように見える。
芸術美術にしても近年もっとも押し寄せてくる分野である。そんなにつくってそんなに描いてどうするの、そんなに箱モノ建てて、そんなに催してどうするのと、怪訝に思っている人は多いのではないか。芸術は頼まれてする仕事ではない。その頼んだ覚えのないものにこんなに押し寄せてこられては応接にいとまがない。いっそ迷惑である。アーティスト人口の増えようは疲れを知らない。虚業に就く者の人口比率がある一線を越えたら世の中つぶれるのではないかと思わせる。
アーティストたちよ、もう気付くべきである。自らの孤独を。自らの一方通行の営為に。今の世、いくら諸君が発信しようと、確乎と享受するに足る精神が、受け手にはないのである。諸君に緊張を強い、諸君に畏れを抱かせるほどの力量も受け手側にはないのである。
故に諸君は受け手と繋がりたくとも繋がりがたい状況にある。情報があふれかえるだけでは、蓄積するだけでは文化たり得ない。個人と世の中に、たとえ通俗道徳であろうと、精神的スタンダードの裏打ちがあるときにのみ、情報が教養に化け、文化が生起するのである。芸術にはそのような世が必要なのだ。芸術はそのような世できたえられ、真の淘汰がなされるのである。芸術の孤独を癒すのはそのような世である。
残念ではあるが、アーティスト諸君は直視せよ、この諸君たちからの情報も含めた氾濫する情報が、我らの血肉となり、ついに我らのエートスとなることは望めないことを。我らの生き方=文化自体が定まっていないのだから。諸君らにとってのこの恐るべき不毛なる状況、それの直視に耐えうる者のみがアーティストであってほしい。残るべき者が残ればよい。孤独ではあろうが難解に陥るなかれ。その上で見せるべきものを見せていただきたい。当方はやんぬるかな、見るべきものを見るのみである。
アーティスト諸君を今展の佐藤巧と措定し、彼にもその心底や如何と問うてみたく思い云爾(シカイウ)。
葎
TAKUMI SATO
1962 京都生まれ
1983 嵯峨美術短期大学陶芸科卒
1985 京都市工業試験場陶磁器研究生了
1992 嵯峨美術短期大学講師
個展 グループ展、国内外にて多数