当館と奥村博美との縁はすでに25年になんなんとする。よくも懲りずに付き合ってくださったと思うとともに、駒光(クコウ)馳するがごとしの感を禁じえない。あっという間だった。
象の時間ネズミの時間というが、奥村の時間と筆者などの時間の種類というか性質はちがうものと思われる。進みようもちがうと思われる。脂汗かきながら金勘定に追われつつ浮世を漕いでいるのが当方なら、彼の時間はそれとは全くの別もんである。はるかに上等で充実したもので、嫉妬してしまう。しかし、のべつ充実している訳ではなかろうとも思う。芸術の人の人生の満ち欠けは世の常の人に比ぶればより切実である。豊饒と旱魃(カンバツ)のくり返しである。くり返しどころか一回こっきりあるいは一回もないかも知れない。筆者の人生がおぼつかないものなら、彼のそれはもっとままならぬものである。ゆえにその過ぎることなんぞ速きと彼とて不承していることだろう。
彼は、外部のなにものかによって影響されること少ない人のようである。古典に取材したとは聞いたことがない。学生の時、ダイレクトに八木一夫の謦咳に触れて、犯されなかった様子である。作品がそれを証している。独立不羈(フキ)なのはいいが、影響されないことに不安はないのかと思う。人は影響されずにはいられない存在である。唯一、旅した南米の、ある国の民家か酒場の壁にちょんと掛かっていたポンチョが、自分の創作イメージの奥底にあると聞いたことがあるが。しかしポンチョと言われてもよくわからなかった。
創作の人に不安はつきものである。不安を持たない人は鈍感である。作者は自分の作るものなど数にも入らぬ取るに足らぬカスではないかと思うものである。いっぱしの作家ならつねに薄氷をふむ気持ちでいる。こんなもの発表していいものかと、躊躇し逡巡し孤疑する。発表すればしたで見に来る人の一顰(イッピン)一笑に一喜一憂する…。奥村サンハ、ドウデスカ?
芸術の人の時間の進み具合は、普通の人より迅速である。日暮れて道遠しの思いを抱かぬ人はいないだろう。先でそのような思いをするのではないかとの憂いもあろう。創作の人の宿命でもある。奥村もこの宿命に甘んじつつもあらがっているのだと思う。他者の影響を受けず恃(タノ)むはおのれのみとはいえ、彼のような不羈の人こそ不安は大きい。涸れんとしてかろうじて湧き上がってくる詞藻をよるべに、あてどなく作ってゆくのである。しかしこの不安こそが実を結ばせる。その時の歓びはカタギの人には味わえない。この世が無常であるなら奥村ほどの力量を持つ者は、常なるものを作品に刻み込んで世に問わねばばならないと思う。傍観者の言い分である。サテ奥村サンニ、ソレダケノ時間ガ、与エラレテイルデショウカ。奥村サン、アナタ危ナイ橋ヲ渡ッテイルノデスカラ、アマリ学校ノコトニ、カマケスギナイデクダサイ。ナオ経済ハ、許サナイデショウカ。期待止ミガタクオリ候。余計ナオ世話ニテ蒙御免。
恐惶敬白
葎
Hiromi Okumura
1953 京都生まれ
1978 京都市立芸術大学陶磁器専攻科修了
京都精華大学助教授
京都工芸美術展 大賞
京都工芸美術展 優秀賞
焼き締め陶公募展 記念賞
淡交ビエンナーレ茶道美術公募展 奨励賞
個展
ギャラリー器館
ギャラリーマロニエ
ギャラリー玄海
黒田陶苑
ライフギャラリー点
日本橋三越
なんば高島屋
ギャラリーにしかわ etc.58回