以下は、植葉香澄を取材訪問しての記事でございます。
’05年8月の展にも作者紹介がございます。
ご覧下さいませ!
●上絵に、物語なんてない
上絵に、物語とかストーリーめいたものは込めていない。龍は、最初から頭の中にいた。葉っぱの模様もあった。そして今回はできるだけ大きなものをつくろうと思った。それだけなの。上絵の意味を探って「どうして」って尋ねられると困る。この前もお茶碗買ってくれた人に、なんで外側が青海波で内側が鹿なのって聞かれた。なんて答えたかな…まあ適当なこといってごまかしてしまった。模様はある意味オートマチックに描いている。龍のうろこを鱗だと思って描いたり彫ったりしてない。水滴とか、蓋もののボディをつくっているときも、陶彫でも、すべてが模様なんだと思う。ただ模様の方向というか、流れっていうのはかなり意識するようになった。強くするのか、弱くするのか。どっちの方向に流すかって、とても大事だなって感じる。そう感じるようになったのが、この一年の大きな変化かな。
昨夏、器館で個展させてもらったときは、まだうさぎを「生きているうさぎ」だと思ってつくっていた。上絵で自分の世界を生み出したくて、かなり感情移入していた。手あともカンナの削りあとも、そのままに残して。気にもならなかったし、それが自分だと思っていた。でも冬ごろかなあ、作品を見てもらったギャラリーの店主から「手あとが残っているなんて論外だよ」って言われた。納得したわけではない。でもそういわれてみて、自分の作品の騒々しさみたいなのに気がついたというか。手あとを残さないって方向で今は一度やってみようと決めた。手あとを残すか消すかはとてもむずかしい。例えば、この角向付。手あとが全くなかったらおもしろくないし。もちろんいつかはいろんな制約やしがらみから脱けだして、自分の好き放題にやりたい。手跡を残しまくっても、どんな模様でも、誰にも何にもいわれないようになりたいな。
●人工交配で生れる模様
模様がどうやって生まれるか? うーん。考えたことないな。そういえば、豊中に多肉植物とサボテンの卸しをやっている大きなお店がある。屋上ビニールハウスのなかに人間が勝手に交配した不気味?な植物たちが何千も展示即売されている。黄色や赤色のカボチャみたいな実がくっついていたり、虹色にそそり立っていたり、なんかふわふわの綿で覆われているのとか。わけがわからないのだけど、そういうのを見ると感動する。ハウスの中はすごく暑くて、その真上すれすれを伊丹発着の飛行機が10分間隔で飛んでいく。形と形、形と模様の組み合わせの意外さというのは、こういうキッチュな空間に影響されているのかも。わたしもサボテンと同じように、人工交配を繰り返して模様を生み出しているのかな。
はっきりいえるのは装飾過多なものが好きってこと。原色同士の、ケンカしそうな色づかいとかありえない配色もいいなって思う。この服もそうだし、携帯ストラップも過多系でしょう。チャームのブレスレットなんかでも、一つの線からいろんなものがぶら下がっていて楽しい。料理でも一皿でいろんな味が味わえると得した気分になる。
きっと、私にとっていいものっていろんな意味で「過多」なものなのかも。もっといいものにしよう、もっと良くしてあげようと思って、ゴリゴリと装飾してしまっている。だから気がつくと装飾過多になってしまうのだろうな。
逆にシブいものってわからない。雨漏のある高麗茶碗とか、無地の李朝白磁の壺とか、六古窯とか、静かで無口なものって苦手だな。なんかしんどくなってくる。侘び寂びとかピンとこないなあ。ははは…これでいいのかな。いつかわかるようになるのかな。
(’06年9月京都市右京区の工房にて、構成・外池彰男)
KASUMI UEBA
1978 京都生まれ
2001 京都市立芸術大学陶芸科卒
2002 京都市工業試験場陶磁器コース了
2003 京都府陶工高等技術専門校図案科卒
2005 個展 ギャラリー器館(京都)
2006 個展 サボア・ヴィーブル(東京)