古拙の美というものがある。日本人はこれによく泣かされる。たとえば李朝、古染付、初期伊万里、古唐津などはその系列である。もっとも泣かされるのは見物側だけではない。作者だって泣く。作者は泣いてる場合じゃないとも思うが、見物側が泣くものだから、ついと、あるいはねらって古拙ぶりのスタイルに走る人は多い。需要あるところ供給ありとはいえ、ここで泣いてほしいなあというふうな、お涙頂戴の思惑でものを見せられても泣いてたまるかという気になるし、そこに迎合の気配を感じて足早に立ち去ることもある。
近くにほとんど村田のもので器を揃える割烹屋があってよく行くのであるが、過日そこで出された徳利とぐい呑(このページ下に3ショット掲載)にえらく泣かされる思いをした。それは粉青沙器というか粉引で、うっすら淡く全体に、恥じらうような赤みがさしていて、そのように窯変していて、さらにその形と姿は、微塵も演技のない素直中の素直といった風情をなしていた。一瞬のタイムスリップに陥れられたようなちょっとしたショックを受けてしまい、思わず村田のものに決まっているのに誰の作かと聞いていた。帰りぎわ花どろぼうの心持ちでそのぐい呑のほうをポケットに入れていた(一応ことわりました)。後日村田に見せたいと思ったのである。
これ、ええやろと、彼に見せてみると、しげしげとためつすがめつして、これ、だれのですかと言う。笑ってしまったが、図らずも彼の心根が垣間見えたような気がして、当方はなにか救われたような気分になった。こういう作者は少ないのである。
あのぐい呑と徳利はまぎれもなく彼が作ったものである。彼は日々たくさんのものを作る。あくことなく作っている。彼なりに精進しているのである。その中からぽっと、出来事のようにしてあれらは生まれ出たのであろう。だから彼は我知らずと言ったのである。彼は見物側の好尚にあわせて、たとえば茶の仕組みなどを横目に見ながら作ったのではない。だからそこには迎合的ないやらしさも匂ってこないのである。
古拙の美といっても、往時の工人と同じ呼吸を呼吸し息づかいまで同じくすることなど不可能である。しかしそれはそれ、今生きている同時代人の作るものはまた格別である。彼は泣かせるようなものを作りたがっているようである。見物は残酷である。その志はまげないでいてもらおう。要は写して堕するか否かである。
歩留りをいうなら、上述の粉引が百点千点のうちの一点だとしても上等な歩留りである。それが二点でも三点でもいい、尻上がりに増えていく可能性を彼に見るのである。
葎