藤原定家の自選歌集『拾遺愚草』に次のような歌がある。
「いかにせむみ山の月はしたへども
なほ思ひおくつゆのふるさと」
「み山の月」と「つゆのふるさと」という二つの場所の対比を基調とした歌だ。定家が生きたのは平安末から鎌倉初期。まさに「世も末」、戦乱が相次ぎ、人心さだかならぬ激動の時世であった。末法思想を説いた源信の「厭離穢土 欣求浄土 (おんりえど ごんぐじょうど)」という言葉や、当時流行した山越阿弥陀図に見られる浄土信仰をふまえれば、この歌で対比されているのはまさに「浄土」と「穢土」ともいえるかもしれない。だが、ケガレタこの世を厭い離れ、清らかな山の向こうの世界を希求するという発想だけがこの歌の持ち味ではない。この歌の魅力は、むしろそんな、いわば「直線的な」発想をひっくり返しているところにあると思う。憧憬の地としての「み山の月」…。み山の月を憧れはするが、なお心引かれる「つゆのふるさと」…。定家のまなざしは直線ではなく、円環をなして回帰する。あたかも理想の浄土のように山向こうに煌々と輝く「み山の月」へと慕いひかれながらも、日々の暮らしがいとなまれている現実の穢土へとたち返る、というふうに。
鯉江良二が土にもとめてきたもの、彼にとっての土とは、代表作ともいうべき「土に還る」のタイトルが示すように、まさにこの定家の歌における「つゆのふるさと」のようなものではなかったかと思う。
鯉江は、現実が「穢土」であることから目を背けようとはしない。穢れ、汚れ、不法、末法の現実をストレートに見通し、ときに激しく鋭く、ときに怒り嘆き「現実=穢土」という事実を作品に吐露する。そこからは、いかに目をそらそうとも、いかに取りつくろおうとも逃れられない現実が、見る者の目にジカに迫ってくる。それはまた、社会の現実を告発するだけのものではなく、陶芸家にとっての「現実=土」を端的に問いなおすものでもあったことはいうまでもない。
しかしながら、鯉江のスタンスはただ「現実=穢土」と言ってすますだけのものではない。どうあがいても穢土であることから逃れられない現実をきわめて厳しくみとめつつも、土に託す彼のカタチには、いつも慈しむような愛情があふれている。穢土だからどうなってもかまわないなどというものではない。現実を穢土として認識することは、穢土ならざるものへの深い思いがあってはじめて成り立つ。それこそ「み山の月」を慕うような憧憬の念。鯉江の作品の背後には、つねにそうした理想、本来あるはずの美しさへのあくなき追求がある。その追求はどこか遠い山の向こうにあるのではなく、まさに足下の土にある。潤いに満ち、我々の「ふるさと」である月下の現実。訪ねた先々の土を我がものとし作品へと昇華してきた、鯉江良二の陶業の一つひとつは、まさに穢土のうちに浄土を見出した「つゆのふるさと」によせる思慕の情のようにも思われるのだ。
今回の個展は白磁を中心とするものと聞いている。無垢な白のなかに、あらためて先生の土への思慕の情をかいま見ることを楽しみにしています。
気がつくと器館に通いだして丸五年になる。焼きものについてまるでズブの素人だった筆者も、いつしかすっかりこちらの世界にのめり込み、ギャラリーならぬ「カフェ器館」として、週に一度(二度、三度?)器を手に取りながらお茶をいただき「清談」にふけるのを楽しみとするようになった。つもりつもった飲み代かタダ酒には気をつけよというが、どうやらタダ茶も危ういようでこうして駄文を披瀝し、皆様のお目をよごすハメになった。読まされたみなさまこそお気の毒さまでした。
鞍田崇 Kurata Takashi 哲学者