出展作家
板原摩紀
片山亜紀
川野英樹
金憲鎬 (キムホノ)
国方善博
桒田卓郎(クワタ)
鯉江明
滝口和男
中村譲司(ジョウジ)
新里明士(アキオ)
服部竜也
マルタ クリスティーナ
村田森 (シン)
矢島操 (ミサオ)
山本哲也
横山拓也
吉村敏治
人ひとりなるはよからずと云う。ひとりなるは自堕落におちいる弊がある。たしかにそうかも知れない。もし自分が天涯孤独、独居の身であったなら、すべてのことは面倒くさいが先に立ってしまって、きっと風呂にも入らずヒゲも剃らず、はては喪家の狗のようにして暮らすことになりそうな気がする。そのような自分が外に出掛けて行けば臭いから人様の迷惑になる。あとは進んで浦島太郎になるしかないと思われる。
おのれのことはさておき… 人は、人に見られているということがなければ、むなしいのではないか。人は日常のうちに世話を焼いたり焼かれたり、迷惑を掛けたり掛けられたりで、はじめて自分の居場所が確かめられるような気がする。この世の義理と人情というものに触れるのである。それが根っこのところでの生き甲斐になるような気がする。何も哲学的なご大層なことを考えずとも、訳の分からぬことに悩まずとも、暮らしのなかで近しい者や他人との事柄に取りまぎれながら、喜怒哀楽の内に一生を世過ぎする。それはそれで一つの幸福であると思う。そのためには人が人を濃淡さまざまに見つめ見つめられているという人間関係が必須なのではないか。
そういう幸福は、昔なら当たり前のようにあったと思われるが、今は老若男女生きるに難き世になった。飽食の世ということで腹の方は鼓を打ててご機嫌さんだが、精神の方はすこぶるご機嫌斜めである。そして不安なようである。ぶつ切りのくず肉のようにアトム化された個人は、そろそろ腐臭を放つようになってお互い近づこうとしなくなった。嫉妬と猜疑の暗い目で人を世を見る。色と欲の目だけは光を放っている。そして自分のことは棚に上げ、人を恐れるようになった。人に接し人のために生きる意欲が減退し、自ら進んで不毛な孤独を選ぶようになったのである。強迫性神経障害のようなもので引きこもっている人間は百万単位でいるという。女は結婚せず、男は怖気付いている。子を持つことを止める傾向がある。あのおびただしいワンルームマンションは、これらおびただしい人々の終の棲家となる可能性がある。あるいは老いぼれたら国の税金によって一所に集められ世話しられても恩に着ずてなもんで着ることもないままお陀仏となるのだろう。
なにゆえこういう仕儀になったのかはだれかに聞いてくれ。しかし生まれるのが自然なら死ぬのも自然であろう。その時の人は常に一人である。畢竟根本において人間孤独なら、そこを呑み込んで、腹に据えてしまうしかない。そしてせめて、時代の孤独が不毛と無惨に満たされたものであろうとも、同行二人ならぬ同行一人の心持ちで正気を失わずに生きて行くより他ないではないか… そんな皆の衆へのまことささやかなご提案ではありますが、今展、無聊を多少とも慰めていただければと、また紙やスチロールやベークライトにあらぬこれら無二の器物を日々の友としていただきたく、ご高覧を願い上げる次第であります。二セット三セットお求めいただければ(その場合はお待ちいただくやも知れませんが)二人用三人用になります。
葎
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
箱膳というものがありますが
あの中には例えば禅寺で雲水
が食すための必要かつ最小限
の器物が仕組まれております
現代人の、特に都会にひとり
住む人たちの食は寒々とした
ものが多いのではないでしょ
うか 用いる器物にしても然
りです
箱膳に納め大切に使って行き
たくなるような、そのような
ゼロサムからの
ミニマルな器物…
作家の方それぞれに考えて下
さいます
何卒ご清覧のほどをお願い申
上げます