●出展作家
青野千穂 秋山陽 板橋廣美 植葉香澄 内田鋼一
大江憲一 奥村博美 片山亜紀 加藤委 加藤亮太郎
北澤いずみ 北村純子 金憲鎬 桑田卓郎 鯉江良二
鈴木卓 田嶋悦子 谷内薫 田淵太郎 丹羽シゲユキ
堤展子 楢木野淑子 新里明士 長谷川潤子 長谷川直人
原菜央 福本双紅 松本ヒデオ 森野彰人 柳原睦夫
山田晶 吉村敏治
日常茶飯というが、人にはそれぞれの日常というものがあって、波瀾含みでいろいろなことに取りまぎれながら
日々を過ごしている。人の日常とは、間近のことに気を取られ、まあ夢かうつつか、夢中になってというか、そんな状態で、その場その場をしのいだり、やり過ごしたりしているだけのことなのだろう。つぎつぎとやって来る予定の、あるいは予定外のことを前にして、何かを決断し、処理しながら、切り抜け、くぐり抜けている。これを身過ぎ世過ぎともいう。
そんな日常から脱け出たいと思うことがある。日常に倦むときがある。非日常へのあこがれは誰にでもあるのではないか。非日常は日常を裁断する。大病とか決定的な失敗をしたりして、望まずして非日常の世界に引きずり込まれることがある。そんなとき絶望と孤独にしょげかえるのだろうが、しかしかえって自分というものが見えてくることもあるのではないか。日常という渦中にあっては見渡せなかった、なにか全体的なものを見る余裕と距離が得られるのである。そしてより充実した、濃密な時間を経験するということがあるのではないか。非日常がもたらすものは自知ということなのかもしれない。
茶の世界というものも、筆者などにはそれが一体なんなのかわかってもいないのだが、非日常的な引力のようなものを感じさせられているのは事実で、結局わからずじまいで終わるだろうに、怠惰でぶざまな茶乞食を続けている。侘び寂びとはなにかと問われたら口で言えないこともないが、茶の創業者たちが実践し経験した侘数寄常住の非日常は、大丈夫のまま死に密着したようなもので、その死と等価であった彼らの道は何人も寄せ付けないもののように思われ、またなにか神話の世界の出来事のようにも思われ、今の薄っぺらな価値からどうこう思おうと見当違いに終始するだけのように思われるのである。
非日常的世界にもいろいろある。それは宗教とか芸術とか趣味道楽などの世界に見出すことができる。毒と悪徳の匂いのする非日常の世界もあるだろう。何かにただ溺れてみたいという欲求を人は持つのではないか。たまには浮世離れしないと人はやっていられないのである。茶の世界も深入りしたらずっと浮世離れしてしまいそうで危なそうだが、楽しみとして経験する段にはこんないい非日常はない。門を叩くにはそれなりの心構え、真剣さが必要だと思うが、その真剣さに茶は応えてくれる。何が善悪か正邪か判然としなくなっている私たちに、忘れがちな大本のところをじんわりと、説教くさくなく、再確認させてくれるようなところがある。美醜についてもそうである。普遍の美とは何かを示唆してくれる。それに第一、あの囲いの中はなつかしい。一種のロストワールドである。日常にくたびれかけている筆者などにはありがたい非日常なのである。
今回で遊碗展も回をかさねて十回目となる。茶との縁あって古人の残したものを見ることも多い。そして職掌柄、思ってしまう。匹敵して新たなるものが今の人にも作れないものかと。茶道具のことのみをいっているのではない。作る人の苦労も知らず無いものねだりしてしまうのである。しかしながら、非日常的世界の住人でもある芸術の人は、この非日常性といった問題を、自身の問題としてもっと意識すべきではないか。結局生ぬるい日常からは生ぬるいものしか生まれないのである。もの作る人として非日常の世界へ如何に、どれだけ深く沈潜できるか…。実は、ふたたび職掌柄、非日常をくぐり抜けてきたものにしか興味がないのです。いや他の見物の人たちも非日常に浸りたくて足を運ぶのです。
今展でも勝手乍ら、いやらしくもしつこくも期待いたしております。-葎-
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副題で-試みの茶事によせて-と銘打っておりますように、今展はこの3年、3回にわたり行われた茶事に因んで開催させていただくものであります。どのような茶事であったか。ここに前回、試みの茶事第三回の顛末とその意義のようなものを記した記事をアップさせていただきます。筆者はフリージャーナリストの沢田眉香子さんという方です。日本陶磁協会発行の『陶説』684号に掲載されました。ご一読賜りましたら幸甚に存じ上げます。
試みの茶事 第三回
「試み」は和敬清寂の「和」のはじめ
多治見の陶芸家・加藤委と京都の作家らを中心に始まった「試みの茶事」。第一回(07年)は京都の修学院荘で、第二回(08年)は多治見修道院で開催された。前回はバロック様式の教会で茶席の趣向が凝らされたが、今回の会場の候補にあがったのは京都の郊外・大山崎にあるモダニズム建築「聴竹居」。建築家・藤井厚二が昭和三年(1928)に設計した住宅で、空気の循環、ゴミ収集システムなどに配慮し「環境共生住宅」を志向した元祖エコ住宅といわれている。近代建築の保存再生に取り組んでいるdocomomo日本支部による「わが国の代表的近代建築20選」にも選出される名建築だ。
09年5月に会場の下見に訪ねた。木立の中に建つ「聴竹居」は和洋折衷の瀟洒なたたずまい。高台にあるため庭の見晴らしも素晴らしいが、悲しいかな傷みがひどく、破れた天井やすりきれた畳が痛々しい。はたしてここで本当に茶会が開けるのかどうか、内装だけでなく収容人数、動線など、クリアすべき点があまりにも多い。とはいえこの地・大山崎は、千利休作の茶室「待庵」がある茶の湯ゆかりの場所。当日、待庵への見学ツアーも組み入れられれば、参加者にとって意義の深い茶事の体験になるのではないかという提案が出た。参加者としては楽しみなのだが実行委員の苦労を思うと「どう思う?」といわれて返答に口ごもってしまった。
それから半年、開催当日の10月31日は快晴にめぐまれた。参加者は作家、学生、コレクターも含めた約70名。三度めともなれば参加者も勝手を心得、会場にはリラックスした空気が感じられる。
まずは佐藤宗陽先生による口切・茶壷開き。茶壺は植葉香澄の「色絵竜田川」、片山亜紀の「積層刳抜手」、松本治幸の「塩窯焼〆」。この日の茶は同年の春に宇治田原で参加者自らが摘み、蒸し、茶壷に納めたものだ。早朝から茶摘みに参加した日の記憶がよみがえる。茶摘みの様子はすでに「陶説」にレポートされているが、口切りの際に回覧された奥村博美による「御茶入日記」から再度、茶のプロフィールを紹介しよう。
雨の降る中
京都から多治見から三十数名
五月十六日に
宇治田原高田茶園で
茶葉を摘み
京都木野で蒸して
精華大学電気窯で乾燥
十月八日は
台風一過、保存の茶葉を茶壷へと
それゆえ
茶名は驟雨の昔
それぞれの雨
今年のお茶は
雨のかおりが
茶壷から出された濃茶「驟雨の昔」薄茶「それぞれの雨」は、三台の茶臼で参加者の手によって粛々と抹茶に挽かれた。
心配した会場のしつらえではあったが、実行委員の執念おそるべし、近代建築の隅々が見事に茶の湯の空間として生かしつくされていた。
藤井厚二はこの「聴竹居」に自然のエネルギーを取り入れる工夫をこらしている。テラスの採光のよさは熱負荷を減らす狙いがあり、壁面を横長に切り取る窓は、庭の緑を生きた屏風絵のように見せる仕掛けだ。点心席と薄茶席がこのテラスルームに設けられた。野点のように明るく開放的な即席の茶室に、自身も茶をたしなんだという藤井厚二も喜んだのではないだろうか。日だまりに堤展子の荘り「風神雷神」も昼寝をしているように見える。茶碗は若手の作品がとりどりに用いられた。
これと対照的に、濃茶席には心地よい緊張感が演出された。座敷の入り口にはアーチ型に曲った竹を設え躙口に見立てる。萌黄色の壁と鮮やかなコントラストを描く床の朱色が、山田晶の水指のあざやかな猩々緋と響き合う。透ける素材を用いた宮永甲太郎の結界の橙色の明るさも、古建築のくすんだ色彩に生命感を吹き込んだ。
もう一か所の濃茶席は、洋室に設けられた。こちらは直線で構成された端正な近代数寄空間。青い毛氈が敷かれ、吉川充造の青磁の風炉、加藤委の硬質な面取六角の水指、柳原睦夫のスカイブルーの主茶碗と、道具組にはクールさが際立つ。そこに鯉江良二の大らかな筆による床の「日月」、福本双紅のうねるような花入れのダイナミックさが映えている。
茶室に用いられた部屋以外の空間も、フルに生かされた。書斎の棚が作品展示に用いられ、庭には学生による焙じ茶席がかかり、芝生の上にそれぞれが持参した折敷が広げて展示された。参加者は茶室、庭と移動しながら建物と作品、それを包む庭のすべてを味わいながら思い思いにくつろいだ。環境との共鳴を掲げたエコロジー住宅は21世紀的な新しい発想のように見えるが、自然と共鳴し空間の持つ可能性をいかに引き出すかという命題は茶の湯の根本的なテーマでもある。
折敷、向、盃、注器と茶事に用いられる器は数多い。「試みの茶事」では「使われる器のすべてを参加者が新たに手づくりする」というルールを掲げている。作家たちの器が雑多にひしめく点心席は、この茶事のもうひとつのハイライトだ。今回は縁高をイメージした陶箱に点心を盛り込む趣向が試みられた。陶箱を作ったのは奥村博美、大江憲一、吉村敏治、森野彰人、片山亜紀、嘉野恵美子、中村譲司、畑中圭介。一段が高さ4センチ、五段の重ね箱という統一ルールが設けらた上での競作。いずれも陶箱初体験だった作家たちだが、悩みぬいた結果点心席の堂々たる主役となった。
中でも目を引いたのは桑田卓郎の円形の陶箱。一段ごとに色を変えたカラフルなデザインで、席に運び込まれるや歓声が起こったが、ふたを開けると、ミスマッチと思われたポップな色が見事、料理を引き立てていて再び驚かされた。懐石の器かくあるべし、というこちらの先入観を破壊されたことではあるが、通常の縁高より低い陶箱に違和感なく料理を盛り込んだ「御料理はやし」の功績も大きい。器は形と色に完結しない。ギャラリーでは決して味わえない実感だ。
それにしても、多くの作家の器が料理を盛られて目の前にずらりと並ぶこの茶事の点心席の光景には毎度ゾクゾクさせられる。その器が造形的に美しいだけでなく、食という用にかなう美を備えているかどうかを一目瞭然で見せつけるからだ。まだ若手の作家の皿が、刺身を乗せるや息をのむほどの生気を発したり、学生が作った手ざわりの良い注器を客がなかなか手放そうとしなかったり。器が人の手と口に触れた時のリアクションには理屈を超えた決定的なものがある。それを作り手や目利きどうしが体感し合うことのできる場。茶の湯とはこうして同好の士が共に器を味わい、評論し合い美意識を鍛え共有する場であったのではないだろうか。
点心を終え、いよいよ濃茶をいただいた。
参加者手づから摘み造った濃茶「驟雨の昔」である。一口すすり、「お服加減は」と尋ねられたところで絶句した。稽古通りの「結構で」が到底出てこない複雑な味である。言葉を失い「すいません、もう一口」と失礼した。青みと苦みが猛烈に舌にからみつく、この味をどう受け取るのかと挑んで来るような、飲み手を受け身でいさせない、「試み」の味がした。
「試みの茶事」のこれまでの三年は、茶の湯の歴史の長さから見ればほんの一瞬だが、参加した作家たちの創作の中に「それぞれの茶の湯」が芽吹くには十分な時間だった。
新里明士は「洋食器にはいろいろな用途があるが、茶陶は茶を飲むというたった一つの目的で作られる。制約も多いがそれが楽しいし、苦しくもある。茶道具づくりには緊張感と責任を感じる」という。光器の白がトレードマークだった新里が、近年作り始めた黒い茶椀は、茶の湯と出会ったことで生まれたものだ。
茶陶でないと開花できなかったかもしれない才能もある。たとえば金彩をたっぷり使ってデコラティブな上絵を描く植葉香澄。「食器だとどうしても表現は抑え目でないといけないけれど、茶陶は上絵を好きなように発揮できる」。自分の器が使われている場面を見られるのも試みの茶事での貴重な体験だった。「怖くて、祈るような気持ち。でも楽しい」。
桑田卓郎は「茶陶と出会って、織部など過去の茶の器のモダンさに気づいた。その感覚を現代の創作に置き換えたならどうなるか、を考えるようになった。上っ面の模倣ではなくて」と語る。
美術の教育機関では最近、美術史を熱心には教えないという。歴史の中に自分を位置付けなくてはアイデンティティや現代性など表現しえない。立ち位置が定まらないゆえの不安と未熟さを「自己表現」と履き違えた作品が累々と積み重なる現代美術の世界。そこから見れば、「茶の湯」という長い歴史の遺産とプレッシャーとともにある器の世界の、なんと幸福なことか。
「試みの茶事」が及ぼした間接的な波及効果もある。村上隆や奈良美智を世界に紹介した小山登美夫ギャラリーは去年、青木良太、桑田卓郎の個展を開催した。造形的なラインと輝きをもつ青木良太の茶碗、グロテスクな存在感の桑田卓郎のプラチナ上絵の茶碗はいずれも内外の若い観客の注目を集めた。実験的な表現が繰り返されてきた歴史を持つ茶陶の世界が、現代のアートとしてアピールすることを証明した。
小山登美夫氏は「これまでの陶芸の世界は、伝統かクラフトか、という二つのジャンルしかなかった。公募展にも一般の興味が薄れている中、そうした流れとは違う価値観で陶芸をやろうとしている人が出てきているのが面白いと思った。そもそも日本は陶芸に関して世界一高い経験知があるはずで、種類もいろいろあります。その中で優秀なものをピックアップしてゆきたい」と語る。
この青木、桑田の両者とも「試みの茶会」に参加して茶の湯に触れたことがきっかけで、茶陶を手掛け始めたた作家だ。ジャパニーズアートとして再評価される陶芸に茶陶の種を仕込んだのも、「試みの茶事」の実りを見るようだった。
後日、反省会の席で、過去三回の試みの茶会を巡って様々な意見が交わされた。「茶会にはもっと緊張感があるべき、あのような雑多な催しではパーティーとどう違うのかわからない」と、茶の湯観のちがいから来るフラストレーションもあれば、「手作りで茶葉を作る」ことへのこだわりにも参加者の間に温度差がある。水と油のディスカッションを聞いていて、よくぞこれだけ意見の違う参加者が一座を建立できたことかと感心した。かくも多彩な表現と解釈を許容する「茶」の不思議に今さらながら気づいたといっていい。さらに言うなら、そのさまざまな解釈を形式や教条で押し込めてしまった結果が、現在の「敷居の高い」茶道だとも。
茶の湯の精神には、和も敬も清も寂もある。多くの作家、様々なな思惑を雑然と、楽しく包容した三度の「試みの茶事」は、四つの文字の初めの一つ「和」の実現だった。
「試みの茶事」はこのかたちでの開催をいったん終了し、今後、各地に飛び火しながら、今年秋には東京国立近代美術館工芸館で開催される予定である。これは前3回の「試み」の成果を受けての再演であってすでに「試み」でないのかもしれない。「完成された時、それは試みではなくなる」というパラドクスをはらんだ「試みの茶事」。それは一席一席が命がけの「試み」であったであろう原初の茶の湯の、正しき追体験だったのではないか。(作家敬称略)