鯉江良二 IN KYOTO
この四月、鯉江先生は京都工芸繊維大学の招きを受けて京都にやって来る。
せんだって一月、先生と土掘りに行った。京都は北山の雲ヶ畑の山へ入る。雲ヶ畑にいる村田森がパイロット役を買って出てくれて、ご子息の明君、その友の畑中君という一行である。道は雪が残っていて、クルマは尻を振り、タイヤは空回りする。山の頂上あたりの土を目指す。結局、最後の登り切りのところで立ち往生となる。スコップで雪を掻く。土をまいてタイヤにかませる。革靴で行ってしまった筆者は、たまらず二回ひっくり返った。別にここで長居しようというのではないが、寒いのでなかば洒落で焚き火でもしようと思い、小枝を集めて火をつけるようとするが、しけっていてつかない。車中の先生は見かねたか、ダンボールをちぎって持って来てくれる。乾いていそうな小枝を集めてくれる。どこかかいがいしい。
やっぱりこの人、火が好きなんだ。土に遊び、火を恋う人。そういえば、木・火・土・金・水を五行というのか、これら万物組成の五元気をおのれの元気となし、先生は木から火を、火から土(やきもの)を生み出してきた。金・水もそうである。五つがあいまってやきものはあり得る。土に突貫、泥中を走りつつ、天地万物の諸元素と一体となって、火の玉小僧となって、余人には遊び難きところで遊んできた。身体を張って、危ない橋をわたるように。危うきところに遊ぶということである。よくまあご無事でといった感を催させる。筆者はこの人のその高風を欽慕(きんぼ)する。土は採れた。クルマも転回できたので山を恐る恐る下りた。
土の目途はついた。上賀茂神社近くの土と、先ほどの雲ヶ畑の土である。あと村田森の仕事場横の土も使わせてもらうかもしれない。先生は四月いっぱい京都で仕事をする。工繊大でのワークショップ、制作、そして詩人の谷川俊太郎氏との対談。場所を変えて京都精華大学での野焼き、楽焼き。そしてこの個展と盛り沢山である。居続けしてもらえる宿も精華大の奥村博美の協力を得て確保してある。気持ちも乗ってきて腰をすえて作ってもらえるだろうか。見物としては期待大なるものがある。なにか先生のエポックメイキングとなるようなものを期待する。先生は見物に期待させてやまないのである。だから見物は、先生の体調その他の諸事情など何処吹く風てなもんで、どんどん残酷になる。茶と楽の本拠地で先生の楽を見てみたいというふうに。先生はその見物の勝手に半世紀耐えてきた稀有な人。なにカラ元気だよと先生はいうが。
先生は夜、抜け出すのではないか。京都は先生にとって思い出深いところらしい。八木一夫をはじめとする兄(あに)さんたちが、結社などしてなにかキナ臭いことをやっている。先生当時、シャトルで常滑と京都を行き来したらしい。長居はしない。まだ自分は何者でもないが、自分は自分と、ある一定の距離と矜持を保つためである。あるいはやっつけられる前にあと白波ということもあるか。ある夜、兄さんたちが飲んでいるところで、八木先生と初にお目見えする。常滑から来た鯉江良二です!と直立不動で挨拶していたとの由。兄さんたちの抜き身の議論を、耳をダンボにして聞いているところを見られている。佐藤敏の下宿にころがり込むといったこともあったらしい。二十代のことである。門を叩く若者にとってああいう時代は幸せだったように思われてならない。
今回、先生夜な夜な(またはたまに)抜け出すのはいいが、記憶をたどれば、京のちまたのそこかしこで兄さんたちの声を聞くのかも知れない。
何卒ご来駕ご清鑑のほどをお願い申上げます。
葎
***********
谷川俊太郎氏との対談のほうも宜しければ是非お運びくださいませ。参加費無料、予約不要です。
谷川俊太郎×鯉江良二対談
〝ことばの力 ものの力〟
●日時 平成22年4月28日(水)午後2時より
●場所 京都工芸繊維大学センターホール
●アクセス
<地下鉄>
地下鉄烏丸線松ヶ崎駅出口1から右へ約400m、4つ目の信号を右へ約180m。
<バス>
私営京都バス高野泉町駅下車、馬橋を渡って道なりに約200m。
●お問合せ
京都工芸繊維大学大学院 澤田美恵子研究室
TEL:075-724-7739 E-mail:TAFT@kit.ac.jp