川端健太郎は寡黙な男である…。「川端君、ちょっと今回の展では変えてほしいところがあるんだけど」。「…」。「あの銀彩、焼いたままで磨きも入れてないから、こすれたりしたらスクラッチしたみたいにそこだけ光って、キズみたいに見えるんだわ」。「…消しゴムでこすったら全部光りますよ」。「そらそうやけど…そんなん、こすってくれとも言えへんし、無理やわ」。「…」。「あの銀、マットな鉛のような質感で、粉を吹いたような感じで、川端君独自やと思うけど、銀として古びてこないようにも思えるし」。「はあ」。「高台とか水指の蓋とか、こすれる部分にはあの銀はちょっとなあ」。「…」。「もっと硬質で金属的なマチエールで行っても、かえってよくなったりするかもしれへんし」。あとで思えば、むっとされていたのではないかと思い出される。「あれはあれで僕はいいと思いますけど」。「いや、まあわかってるよ。そやけど考えといてくれへんかなあ」。「はあ」。
こんな遣り取りだったのだが、実際はもっと長くて押し問答のようなことになっていたと思う。当方にしてもけっこう意を決して言っているところもあり、言うには勇気がいるのである。作家として全面的に認めている人に対してはなおさらである。注文や苦情を言うのは大いに気おくれを感じる。第一、作家とは、一面プライドのかたまりのような存在で、なんだかんだと言われても、結局は自分の作りたいものしか作ろうとしないし、また作れないのである。しかしそれでいいのだ。大げさに言えば、この世の何ものといえども侵犯を許さない世界を持っているのが芸術の人である。そういう、いわば絶対的自由の領域を私たちは覗いてみたい、共有してみたいと思うのである。
言うだけは言ってみたのでまあいいかと思っていた。あんなことを言ってちょっと後悔するような気持ちでもいたのだが、注文はぎりぎり許せるものだったのかもしれない。従来の彼独自の銀彩に変更を加えてくれたのである。「見たけど、かっこええわ。すばらしい。あれ銀彩?」。「プラチナ」。「プラチナ! ええわ、これ好きやわ。ちょっと黒味を帯びて」。「プラチナの焼〆です」。「そうか、ええわ、成功していると思う。これで行こう!」。磁胎にしっかりと焼きついたプラチナである。以前に比べて硬質な手触り。これならこすれても大丈夫そうである。燻したような光沢が渋い。質感はがらりと変わったが、作品全体はさらに高次のところへ一段と高められたのではないか。当方としては注文が功を奏して思い通りになったわけだから、快哉といったところである。しかし作者はきっと技法的にもむずかしいところを乗り越えて応えてくれたのだろう。
写真に撮った三点の碗。白金彩硝子象嵌釉彩碗…とでも言えばいいのか。どんなふうにして作るの?と、膝乗り出して聞きたくなるほどに、複雑かつ巧緻である。実際聞いてみたらガラスによる窯キズまで狙って計算に入れている。プリーツにいたっては、磁土の矯(た)め殺しに超人的な手わざを見る。むずかしいアクロバティックなことが多くなされているのである。これらが総合されて川端のオリジナリテが屹立しているのだと言える。思えば恐れ多いことでもあったか。今回は注文をたまたま聞いてくれたが、彼もたまたまそういう気になったというだけのことだったのかもしれない…。
今回、次のような一文を作者が寄せてくれました。詩のような、つぶやきのような、こんなツィッターなら大歓迎です。
ぽっと詩がラジオから流れてきて 毎日
工夫していく日々に
ものとしてはきだした時に
この詩のような匂いが纏えたら 今
むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに(井上ひさし)
何卒ご清鑑のほどをお願い申上げます。-葎-
KAWABATA KENTARO
1976 埼玉県生まれ
1998 東京デザイナー学院陶器科卒業
2000 多治見市陶磁器意匠研究所修了
2001 織部の心作陶展 大賞
2002 第4回益子陶芸展 審査員特別賞
2004 第5回益子陶芸展 加守田章二賞
2007 パラミタ陶芸大賞展 大賞
主なグループ展
●カルージュ国際陶芸展(2003・スイス)
●ミノ・セラミックス・ナウ(2004・岐阜県現代陶芸美術館)
●華やぎのかたちⅠ(2007・日本橋高島屋)
●SOFAシカゴ(2007・アメリカ)
●新進陶芸家による〝東海現代陶芸の今〟展(2008・愛知県陶磁資料館)
●京畿道世界陶磁ビエンナーレ 世界現代陶磁展(2009・韓国)
●高島屋美術水族館(2009・高島屋巡回展)
●未来のタカラモノ展(2009・高島屋巡回展)