●出展作家の方々(敬称略)
池田省吾 板原摩紀 市野雅彦 植葉香澄 内田鋼一
大澤恒夫 岡本作礼 桶谷寧 梶原靖元 兼田昌尚
久保忠廣 鯉江明 清水真由美 竹内紘三 武田浪
寺島裕二 新里明士 花塚愛 松田百合子 松本治幸
丸田宗彦 村田森
以上二十二名
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千里同風あらたまの御慶めでたく申納め候
人は酒を飲みます(飲めない人もいますが)。そして酒の功罪は数え上げたらきりがないでしょうが、なぜ人は酒を欲するのかというと、詰まるところ酒は、夢とうつつとの境い目をまぎらかしてくれるから、ということになるのではないでしょうか。つまり酒は憂き世のことをいっときでも忘れさせてくれ、非日常への移行あるいは逃避の手助けをしてくれる。まあ快楽への傾斜という意味で、健康的、建設的なこととは言えないかもしれません。しかし昔から酒を飲むことによって、現世に対して超然たる位置を占めようとする人たちもいます。そういう人たちにとって、酒はたとえ身を滅ぼそうとも、別れ難い、なくてはならないものだったのでしょう。
李白一斗詩百篇…。一斗は十升です。大酒のみの詩人李白は、一斗の酒を飲むうちに、詩百篇をものしたといいます。飲むほどに酔うほどにこんこんと詩想が湧いてきたのでしょう。続いて、長安市上酒家眠 天子呼来不上船 自称臣是酒中仙、とあります。長安市内のある飲み屋で酔いつぶれてしまって、玄宗皇帝の舟遊びかなにかに召されたが参上できず、拙者はどうせアル中の仙人だからと、開き直ったか、クダを巻いたとか…。杜甫が李白のことを詠んだ詩です。やがて皇帝にまでスッポンをかますような酔態(確信犯的な臭いもしますが)が憎まれて、李白は都を追放されますが、どうせ役人にはなり切れないタチだったでしょう。身を持ち崩したわけですが、しかし李白の場合、酒との必然性が、彼をして詩人としての本懐を遂げさせたのだと思われます。最期は酔って水に映った月をとらまえようとして死んだとも伝えられています。
夢の世は夢もうつつも夢なれば醒めなば夢もうつつとぞ知れ…。たしか御詠歌にこのような歌があったと記憶しているのですが、李白の境地はこのようなものだったのではないでしょうか。李白は透徹した老荘の徒でありいわば娑婆の次元を超えた立場から人の世を見て、自然を見ていたのだと思うのです。酒を無二の友としつつ。その友と共に棲み、遊ぶところは、やはり桃源郷だったように思うのです。
古来、さかずきには漆、金属、獣角、珠玉、貝、ガラスなどいろいろありますが、やはりさかずきは陶に止めを刺すのではないでしょうか。酒と人との間に密接な情緒性をもたらすものは、私たち日本人には陶盃が一番のように思われます。うっとりと気持ち良さげな様を陶然とすると言ったりします。飲んべの李白さんにも愛着のさかずきがあったことでしょう。佐加豆岐(さかずき)の展パートⅣと銘打ち、酒盃酒注を現代の優れた陶芸家の方々に出品していただきます。何卒ご清鑑のほどをお願い申上げます。
葎