佐加豆岐(サカズキ)の展PARTⅤ
出展作家の方々(敬称略)
浅野哲 石山哲也 今泉毅 大谷滋 岡信吾 片山亜紀
加藤委 金重有邦 川端健太郎 喜多村光史 北村純子
柴山勝 鈴木徹 高柳むつみ 滝口和男 田淵太郎
辻村塊 津守愛香 德澤守俊 富田美樹子 中村康平
楢木野淑子 長谷川直人 服部竜也 原憲司 前田昭博
升たか 松本ヒデオ 三原研 吉村敏治
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浮世の事は笑うに如(し)かずというが、人は世の中が自分のモラルな部分とは違う方向に行っていると感じていては、何となく面白くなくないものである。そして自分用の大きな棚を用意しつつ他を難じ始める。特に政治に対しては痛烈である。しかし政治家をボロクソにこきおろして何を求めるのか。市民たる資格のない者が、政治家になる資格のない人間を慢罵(まんば)して快をむさぼっている。目くそ鼻くそというものである。我の事も考え合わせてしょうがねえなあと思う。
政治家の条件とはどのようなものをいうのだろう。
TVに映る政治家を眺めてこりゃダメだと思いながら夢想する。第一に、賢い人であろう。知力と識見を持つ人で、これからの事をどうすればよいのか、その判断を総合的に高度な立場から下すことが出来るというようなことであろう。そのような全体的な見通しと判断のできる能力は誰にでもある訳ではない。それを例えば職業軍人とか職業的革命家に期待したりすれば、あらぬ所へ連れて行かれるのは既に実証済みである。第二に、自身の言葉で自分の考えを国民に知らせる説得の能力があるのかないのか。しかしこれも単なるレトリックだけではどうにもならない。もともと識見のない政治家がいくら国民を説得しようとしても、誰の目にも愚かさがはっきりするだけである。第三に、芯のところで金銭の誘惑に負けない強さを持っているかどうか。しかしこの事だけを政治家の最上の絶対条件みたいにやかましくさわぐのは如何か。清く正しいだけの人は何もできない人のことである。金や酒色に弱いのは人間一般の悪徳であって、要はここ一番で金銭その他のために国益を損ねたり、国を売ったりしないような強さがあればいいのである。いい事もし悪い事もして、最後のところで善い事をしてくれればそれでいいのではないか。他にも条件は色々あるだろうが、ひとつ忘れちゃあいませんかといえば、それは愛国心である。政治家がこれを欠いては、ほかのすべての条件がそろっていても何にもならないだろう。愛国心は政治家の魂なのではないか。私たちはこの言葉に悪い連想を持つようにされてしまっている。愛国心という言葉を悪者にしたがる思考回路を植え付けられてしまっている。それは政治的無知というものであろう。そろそろこの言葉がそのように利用される目的(情熱と言ってもいい)が奈辺にあるのかということを、本気で怪しみ考えるべきときが来ているように思うのだが。
私たちが戴く宰相以下、現在の政治家は、皆とは言わぬがどっちつかずのデマゴーグともいうべき人たちで、眉毛にべたべた唾をつけて話を聞いていたほうがよさそうである。政治家の条件というものを考えると索然としてくるが、堅固(けんご)な愛国心と諸条件を兼ね備えた政治家の登壇を許さないのは、実は私たち自身かも知れない。これあるかな。気散じに酒でも飲んでやはり笑うに如かずか。
葎
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前回に引き続き連続で佐加豆岐の展パートⅤを開催いたします。あの人のこの人の酒盃酒器を見てみたい念押さえがたく、欲深にも二回にわたり開催させていただく次第であります。尤品、逸品が徐々に弊館へ集まり出してきております。
2月5日初日、何卒ご清鑑のほどをお願い申上げます。