今展の吉村敏治さんは、器のみならず、なかなかのオブジェをものする陶芸家です。へんなもの言いですが、彼のオブジェは、見ていてこちらに羞恥の情を起こさしめないといった、そのような高いレヴェルを行くものだとかねて思っておりました。こういう人は筆者のまわりを見渡しても少数です。写真の作品は、オブジェというより瓶のようなものですが、彼の、非常に仕組まれた、たくまれた造形意識といったものを感じさせます。錆びた鉄板を矯(た)めて一枚づくりで作ったような隠喩的な風情。いや土中していたのを掘り出したのかといった…。肩の切れ目が、首根っこのところを向うへ半周し、口のスリットへと走っています。溶接された継ぎ目のような印象です。継ぎ目からメリメリ拡げられそうで、込み入った幾何学的な展開図があらわれそうです。実はこれ、ロクロを用いて作られています。ロクロで挽いた三つのパーツからなっています。すなわち陶芸家の作ったものということです。陶芸の地平にしっかりと立脚点を持つ人だと思います。アイデンティファイされた、そこからの展開だということです。このことに頼もしさのようなものを覚えます。
お話し変わって、その昔、西洋の概念によって矩(のり)を設けられたやきものは、ながく芸術の仲間に入れてもらえないという状況をかこっていました。ファインアートじゃないと、一段低いものと見られていました。そこを突破したのが八木一夫という先達です。一人の手柄のように簡単に言うのはなんだと怒られそうですが、あとは一瀉千里です。付いて行く同志仲間がいたということでしょう。そしてやきものは新たなる自由を得たのです。それが可能だったのは、時代のベクトルと八木の天才が合致し作用し合ってのことだったと思います。八木はやきものに依拠しつつ、すなわちその出自に強烈なプライドを持しつつ、質、量ともに驚異的な表現を成しとげました。その作品は、哲学的であり、つまり批判的であり、文学的であり、詩的であり、音楽的でもありました。ユーモアと諧謔の味付けもなされていました。哀情さえもただようものがありました。その総合的なところ、網羅性にあらためて驚かされます。この総合的なところが驚異なのであって、やきものの新たな自由の天地をアトラスのごとく一人で背負っていた観があります。しかし思うのです。創作の歓びとともに、期待を背負っての生みの苦しみ、新手のオブジェを生すことは、心身をすり減らすようなものだったのではないかと。芸術の人はいつだって不安のなかにあるのです。
芸術的抽象というか、表現の屹立しているオブジェ。いつからかそういったものを目にすることがめっきり少なくなったように思われます。残念です。見物の勝手ながら、過去の偉大な達成を受けつぎ、それに肉薄するような作品群の登場を鶴首する気持ちがあります。生きている人のなかにです。先達の拓いたやきものの自由の別天地、そこは自由であるがゆえに剣呑な場所でもあります。だれでもが遊べるところではないと思います。自由のなかで自由にものを生すには、確固とした自己同一性すなわち自己の拠って来たるところのものに心を致さねばなりません。さもなくば作るものは正体不明のものとなるでしょう。吉村も自由のなかに遊びをせむとやと、挑戦を試みる人と見受けます。やきものとオブジェの間を往還して無事な数少ない陶芸家吉村敏治。彼にも期待に耐えて行ってもらいたく思うのです。-葎-
YOSHIMURA,TOSHIHARU
1973 大阪府生まれ
1996 京都精華大学卒
1998 京都市立芸術大学大学院修了
●個展
ギャラリーマロニエ、ギャルリー正観堂、
ギャラリーすずき、ギャルリー田澤(以上京都)
EN陶REZ(神戸)
世界のタイル博物館(常滑)
ガレリアセラミカ、INAX GALLERY2、東京美術クラブ、
陶彩、田島美術店青山(以上東京)
KEIKO GALLERY(アメリカ・ボストン)
●グループ展
京都府美術工芸新鋭選抜展、パラミタ陶芸大賞展、
SOFA CHICAGO、SOFA NEW YOYK、遊碗展Ⅹ、etc.