竹内八紘三展 このごろになって、遠き人近き人がけっこう頻繁に死んでいく。筆者の親に当たる世代の人たちがちょうどその年ごろに入っていることもある。順ぐりといえば順ぐりだが、筆者のような年ごろも危うい域のようで、くしの歯が折れるように死んでいく友がいる。それを聞いてびっくりしたりする。この危険水域を抜ければ、自分たちの親の年まで行く可能性が高まるようにも思われるがそんなことだれが知ろうか…。あすありと思う心のあだざくらよわに嵐の吹かぬものかはと古人は詠じた。あるいは、若きとてすえをながきと思ふなよ無常の風はときをきらわずである。無常観が出ている。しかしである、おもしろきこともなき世をおもしろく棲みなすものは心なりけりとも云える。
私たちの生の連続はこのまま連続することはなく、延長もなく、このいまいる次元はいつか断たれるわけである。そしてだれも知らない別次元へとその断面を晒しているのだろう。ときどき、あと何年この世界を眺めていられるだろうかという思いに捉われることがある。だれものぞき込むことのできないこの私の全世界をである。年老いたらなおさらであろう。考えようだが、人は死ぬまでは生きている、生きている限り死は未だ存在しないのであり、死が来る時私たちはもはや無いのだから、死などなんでもないものであり、死とその後のことを思い煩っても仕方がないのかもしれない。要するに未知のことなのである。幾たび葬式に行っても死んだ人はなにも教えてくれない。それはけっして死の実体そのものでなく、他人の死や葬式や墓は、それはこの世で見られるものであり、生に所属するものに過ぎないからである。
収拾がつかなくならないうちにお話変わって…、先日ある重鎮(喜寿の人)と話をする機会があった。座りなおすようにして話し出されるので、いつもうわの空の筆者も身構えてしまった。話柄が死に及んだからである。このごろ死について思うにつけ、自身の死とやきものを重ね合わせて考えることがある。曰く、可塑性を持つみずみずしい土は、押せばへこむし、叩けば広がる。鋳込めば水のようにその型に沿う。わが手が加えるエネルギーに反応し、いかようにも応じてくれる。水挽き直後の初々しい姿はいわば誕生の様子である。それを焼くということは、どういうことか、いったん殺すということであり、やきものはそのとき死ぬのだと。そのようにやきものを捉えるべきであり、近頃とみにそう実感するようになったと仰るのである。だからといって自分の作品がどうこうなるとか、悟るようにわかったわけでもないと云われるので、なあんだと思ったが、筆者はこの重鎮の話にとても動かされるものがあった。
やきものを殺す(やきものが死ぬ)ということは、やきものを別次元の世界へ押しやり、飛躍させることであらねばならないということであろう。例のポアの話ではない。死によって画される有限性を超えて、永遠への憧れとともに、美への冒険へ旅立たせるのである。私たちの生も有限である。その先は、未知であり不可思議である。しかしその未知なる向こうに不死(肉体の不死ではなく)を希求し、憧れることはできるだろう。その憧れが、私たちをたとえば美の冒険へと駆り立たせるのではないか。その冒険にはエロースという神が寄り添っているはずである。フロイトの云う夢見用のエロースのことなどではない。そして、美はその途上で私たちをきびしく律するのではないか。また美は私たちに思想を持たせようとするだろう。
くだんの重鎮は喜寿にしてなお青々しく、向上の心を失っていないように思われた。重鎮にもあせりのようなものはあるだろう。しかしよりよいものを求めて真摯に精進されておられる。思い、考え、深く思惟しつつである。今展の若い人にこのエピソードを取り次ぎたく思い云爾(しかいう)。
葎
KOUZO TAKEUCHI
1977 兵庫県生まれ
2001 大阪芸術大学卒
2003 多治見市陶磁器意匠研究所卒
2005 長三賞現代陶芸展奨励賞
2006 SOFA CHICAGO(シカゴ)
2006 INAXガレリアセラミカ(東京)
2007 KEIKO GALLERY(ボストン)
2007 ガレリアセラミカの10人展(世界のタイル博物館)
2008 陶彩(東京)
2009 桃居(東京)
2009 若武者12人の茶碗展(多治見市さかづき美術館)
2010 東京アメリカンクラブ(高輪・東京)
2010 日本の現代陶芸の領域(パリ・フランス)
2011 日々(東京)
2011 日本陶芸の現代(ケルン・ドイツ)
2012 二人展(JR大阪三越伊勢丹)