威風あたりを払うというが、写真の作品、神気宿るがごとしである。聖俗のあわいを画然と意識させるような風情である。風情といったら違うだろうか、超俗の存在感がある。あたりの空気の密度はいやましに濃くなっている。焼成は、酸化からの冷却還元。最良質の木灰である柞灰(いすばい)が原初の青磁を思わせる色あいを呈している。トウテツ文(怪獣の顔面を表現した殷代青銅器の文様)を立体化したような突起が、みっしりと、立錐の余地もなく生え出ている。ひとつひとつ型で取ったものである。内側にもたくさん見える。捧げ上げられている蓋器をあけたら、なにか贄(にえ)でも入っていそうな様子である。人の肝でも入っているんじゃないかと連想させるものがある。
このシリーズ、殷代の青銅器に取材した吉川充のライフワークである。
吉川は1970年代に京都芸大に学んでいる。当時の京都芸大は、陶芸に八木一夫、彫刻に辻晋堂以下の錚々たる看板がそろっていて、あのころに学生時代を過ごせたことは一つの幸福であったかもしれない。しかし八木のような饒舌な天才と日常的に目の当たりに接して、多大かつ決定的な影響も受けたはずである。それはある意味剣呑な、自分が犯されるような、自分を見失うほどのものではなかったか。師の高風を欽慕するというが、そのような美辞では済まされない、おのれの立つ瀬を求めてもがきあがくような一時期を経験したのではないかと思うのである。
吉川は在学中から、青銅器コレクションで名高い京都鹿ケ谷の泉屋博古館に足しげく通ったという。そのとき彼自身の発見があったのだろう。将来を費やすに足る命題をさがし求め、渉猟していた吉川にとっては、自分を取り戻すような気持ちがしたのではないか。殷代の青銅器、それらは三千年四千年前のものである。日本はまだ文字もない先史時代である。千年単位の時間をずんずんさかのぼり、ここまでくればと、自分だけの解放区を感じていたのだと思う。しかしこれを料理して吉川版殷器といったものに持っていけるのかどうか。若い吉川はここに冒険を試みることに決めたのである。
勝手なことを言っているが、ここからも勝手な忖度である。では、吉川はこのシリーズを作り続けてすでに長きになるが、これをもって彼はなにを言いたいのだろうか。なにを表現したいのだろうか。
三四千年前といえば、中国が先史時代から抜け出たころである。甲骨文字の時代である。文明発祥の最初期を迎えるわけである。まだ仏陀も孔孟老荘も、ギリシャローマもイエスも存在しない。別言すれば、神の概念とかイデアとか無の思想もないといった、いわば宗教哲学以前の世界である(だから劣っていると言いたいのではない)。たとえばユダヤ思想的な、人間が神を作るということをしたり、神を自然より高い地位に置いて、神が初めに自然を創ったとか、だからこの世界は初めがあって終わりがあるとか、すなわち世界を一定時限かぎられた時間的存在と見るとか、すべてを時間的、歴史的存在に流し込むとか、というふうな考えなどさらさらないのである。
四千年前ともなれば、そのような人間中心の観念ではなくて、自然というものを、根源的な、それ自身において存在し変化する、人間に対して独立な絶対的存在と見て、まして初めも終わりもなく、そのままそれ自体で永遠にあるものとして受容する、というふうな感覚だったろう。自然に対しての畏怖、畏敬、驚異、恐怖。自分たちのこの絶対的卑小さ。そのような理解が、殷器のような空前の神業的な祭器を生んだのだと思う。永遠のコスモスをつかさどる超越的な存在への捧げ物として。あるいは霊的存在とじかに連絡しようとする通信機器のようなものか。あれらは人類の生み出した物のなかでも世界史的達成を示して隔絶している。
吉川は、それを借りてなにを表現しようとしているのか。神は死んで久しいらしい。そして有史以来の神の事業は成就しつつあるのかどうか…、どうもうまくいっているとは思えない。そのことに対する彼の提示とか挑戦のようなものが意図されているのだろうか。あるいはアニミズムへの回帰願望か。一度また酒でも入ったら、深めに聞いてみたい気がする。別になんも考えとらんと切り返されるかもしれないが…。
今展では、明窓浄机、文人趣味あふれる文房具も出展されます。何卒のご清賞を賜りますようお願い申上げます。
葎