佐加豆岐(さかずき)の展パートⅥ
酒は、静かに飲むのが第一等なのでしょう。気のおけない仲間と談論風発、陽気に飲む酒もいいです。しかしそういう機会はしょっちゅうないでしょうから、ひとり陶然と、ほのぼのと、心に灯をともすように酒が飲めたらと思います。そんなふうに飲める人は上等の人だと思います。筆者など不徳の輩は、そのような酒との付き合い方がいまだにできないでおります。覚醒時に穴があったら入りたいと思ったこと幾たびかです。良酒四分悪酒六分といったところでしょうか。酒は量なく、乱に及ばずといきたいところなのですが…。
昔から酒は功罪相半ばするものなのでしょう。しかし人から酒を取り上げることはできないと思います。禁じようとしてもダメでしょう。かつてアメリカで、禁酒法というのがありましたが、あれなど人間の一面だけを見たものであって、小悪を矯めようとして大悪を招くような結果になりました。法律で酒を禁じるなど、彼の国のカルトな正義感は、ときどき何をしでかすかわからないところがあります。それはさておき、まあ私たちが善悪こき混ぜた存在であるように、酒にも両面があるのであって、そのへんを含んでおく了見が肝心なのではないでしょうか。人間だものではないですが…。
酒の功徳とか恵みというものを考えると、沢山あると思います。
白楽天は詠います。百歳多事ノ壮健無シ 一春能ク幾日カ清明 相逢フテ且ツ酔イヲ推辞スル莫カレ 唱ウヲ聴ケ陽関ノ第四声。百年生きてもいいときなどそれほどない、春といったって晴れる日は幾日か、ここで逢うたからには一杯やろう、あの王維の詩を君に唱ってあげるよ、というほどの意味です。人との邂逅を、酒を愛する詩人の心でもって詠い上げています。あの李白は酒で命を落としたといいますが、酒なかりせば李白という大詩人は存在しなかったでしょう。酒の神様の功徳ここに極まれり、もって瞑すべしではないかと…。
いくら飲んでもいいが、乱れるのはよろしくないという孔子様の教えを拳拳服膺しつつ、酒とのよき交わりを持ちたく思うのであります。
佐加豆岐(さかずき)の展も今回で六回目です。四十四名、多くの方々が出品して下さいました。座右の友となるような作がきっとあることと存じます。なにとぞのご清鑑をお願い申上げます。
葎
●出展作家(敬称略五十音順)
池田省吾 磯崎真理子 市野雅彦 今泉毅 植葉香澄
内田鋼一 岡本作礼 奥村博美 桶谷寧 隠崎隆一
梶原靖元 加藤委 川口淳 川端健太郎 清水六兵衞
桑田卓郎 鯉江良二 崎山隆之 清水真由美 杉浦康益
高柳むつみ 滝口和男 田嶋悦子 田中知美 辻村唯
寺島裕二 堤展子 徳澤守俊 富田美樹子 長谷川直人
原憲司 深見陶治 福本双紅 藤平寧 前田昭博
升たか 松本ヒデオ 丸田宗彦 三原研 村田森
安永正臣 山田晶 吉村敏治 和田的(四十四名)