穴窯居士 デレックラーセン展
穴窯は、やきもの焼成にとって、発生的でプリミティヴな窯である。須恵器の時代に朝鮮半島から伝わった。この単純な窯体構造の窯は、御しがたくもあり、効率はそんなによくない。時代がくだって、インダストリアルで高効率な登窯の出現があった。だから途絶えてもおかしくなかったのに、その後も受け継がれ、現代にいたっては、非常に多くの陶芸家の採用するところとなっている。今や全国津々浦々、穴窯が林立している。その数を数えてみたら、有史以来最も多いことになるのではないか。
筆者は想像する…。もしも今ある全ての穴窯が、そのまま窯址として、考古学的時間を経て残ったとしたら、未来の発掘者は、そのおびただしさに驚愕することだろう。そして、発掘品を見てどのような評価を与えるだろうか。あっちの窯、こっちの窯で全く様子のちがうものが出てくる。出るわ出るわでカラフルなのはいいが、刮目(かつもく)に価するものにはめったにお目にかかれない。しかし盛んであったのは間違いないのだが…。彼らはこれを陶磁史上あるいは美術史上、どう括り、どう位置づけたらいいのかと頭をかかえるのではないか…などと想像がふくらむ。
ところで穴窯(薪窯一般)を焚いているときは、一種のトランス状態に入っていくらしい。火を前にしてのその身体的状況は、消耗と快感の入り交じったものなのだろう。拝火教ではないが、えんえんと薪をくべ続けるうちに、なにか祈りにも似た心持ちがしてくるのではないか。なにかを一心に待ちわびる宗教的恍惚感のようなものか。うず巻く火のなかに垣間見たような気がする、窯の神の存在を信じてなんとかどうぞとお願いしたりする。それもいいだろう。しかし、その神に拝跪し、ひれ伏すばかりではダメなのではないか。やきものも、人のなす立体の造形である以上、本質においてそれは自意識の産物である。神の業ではない。おのれ自身の業である。トランス状態のなかにあっても、覚醒した自意識を手放すべきではないだろう。
この覚醒しているべき自意識を放擲したようなもののいかに多いことか。トランス状態のままに、もうろうとした自己と自意識を、窯のなかへ流し込んでしまう。偶成に頼り期待する。そうして焼け上がってくるものといえば、一も二もなく窯の神に全面帰依したような相貌を見せている。上気して満足気である。そこには窯の神との対決もなければ和解もうかがえない。それらは、きびしく見れば、見物にとっては詮なきものである。よって、自己満足の、窯焚きに酔い、窯焚き自体が目的化しているような作家御仁には、とっくりと自然には限りあることに思いを致してもらいたいと思う。あんなに木を燃さない省エネのほうへ転向してもらいたいと思う。
今回初お目見えのデレックラーセン、Derek Larsenと綴る。穴窯をいくつも築いている穴窯居士のような人である。1975年のカンザス生まれ。ものは穴窯による力強さと繊細さが両立している。形姿がよい。言葉は悪いが外人離れしている。彼はこの国の窯の神との対決のあとに和解を見出せる人なのかもしれない。結局この世界、作品がものをいっているかどうかがすべての、身も蓋もない世界なのである。蒙御免云爾(しかいう)。-葎-
1975 米国カンザスで生まれる
1998 カンザスで最初の穴窯をつくる
2000 カンザス大学 デザイン学位取得
2002 オーストラリアにてダニエルラファティのア
シスタントを務める 穴窯をつくる
2003 オーストラリアサザンクロス大学にて穴窯築
窯に関する修士号取得
2004 カンザスジョンソンカントリー短期大学にて
陶磁専門教授を務める
カンザスで2つ目の穴窯をつくる
2005 NCECA Biennale Prize
国民陶器教育機関陶磁器芸術賞受賞
2006 中央ミズーリ大学にて芸術専門教授になる
2010 滋賀県立陶芸の森にてアーティストインレジデンス
2011 愛知県柿平に穴窯をつくる
2012 第5回現代茶陶展入選
2013 京都市右京区京北町に穴窯を築く