鯉江明は、昨年の夏と秋、二度韓国へ行ってきたという。夏は半島南西に浮かぶ火山島、済州島へ。秋はあの薩摩焼沈寿官出自の故地、南原というところへ行ってきた。済州島は一ヶ月、南原は五日間の滞在だった。招かれてのワークショップである。穴窯も焚いた。夜は酒食をともにしたという。ときあたかも、向うの大統領が追いつめられてか、苦しがってか、いろいろと突飛な言行に走っていた時期ではなかったか。筆者なら逡巡するところだが、明は平気のようだった。彼のような、政治とは無縁のところで民民の交わりをいとわない人がいるかぎり、大丈夫なような気がする。
しかしいつごろからであろうか、半島の人たちが、私たち日本人を悪い悪いと慢罵するようになったのは。それは、敗戦このかた七十年近く、私たちが自分たち自身のことを侮るようになったからだろうか。自らを侮るものは、かならず他から侮りを受けるという。それと、向うで行われている教育がある。げに恐ろしきは教育である。刷り込まれてしまった内容は、ずっと残るのではないかと暗澹たる気持ちになる。彼らには、すでにステレオタイプと化した日本人像が焼き付けられている。これあるかな…。大丈夫でないような気がしてくる。
そして彼らは、政治の場において、ことあるごとに歴史認識を持ち出してくる。政治とは、過去のことよりもこれからどうするのかを話し合うべきものであろう。私たち日本人は、いいも悪くも恩怨ともにすぐ忘れるが、向うの人は濃密にわだかまるルサンチマンといったらいいのか、しつこい。いったい何回どこまであやまればいいの?、またどうしてそんなにあやまるの?という気持ちが私たちの本音なのではないか。
歴史とは本来、何か特定の意図目的のために改竄されたり、利用されるべきものではないだろう。しかしながら実際は、自国のため、おのれかわいさに、白を黒ということにして、あるいは脚色して、恬として恥じないのが普通である。反対に、自国の教科書に自国の悪口を書いて平然というのは、驚くべき例外事である。椿事である。私たちはすこぶる不健康なのである。対して彼らは健康なのである。そして私たちは彼らのその健康に、あるいやなものを見るのではないか。どっちもどっちである。
私たちの不健康さにもいやなものがあるが、彼らの度を越した健康はどこから来るのか。歴史認識、歴史認識というが、自分たちの歴史認識はどうなのか。はたして貴方たちは他を難じるとき、自国の歴史に対して完全に無罪なのか、無実なのか。過誤はなかったのか。言いたくなるのである。歴史は、支配者のためのものでもなければ、人民のためだけのものでもない。戦争や平和のためでもない。それは、人間的なものがぎっしり詰まったものであろう。美と醜、正と邪、気高さと卑劣、英知と愚昧であふれかえって壮観である。そしてそれは単なる人間的なものの枠を越えて、むしろ悪魔的なものにつながっているようにも思われる。そこから私たちはなにを学べばいいのか。歴史への共通認識はそのへんに置くべきではないか。歴史を単純化するのはやめていただきたい。なにが言いたいかといえば、仲良くしたいと切に願い云爾(しかいう)。-葎-
AKIRA KOIE
1978 常滑に生まれる
1999 名古屋福祉法経専門学校幼児教育科卒
2001 常滑市天竺無鉄砲窯築窯に参加
2005 初個展 うつわ菜の花(小田原)
以降、各地で個展
赤坂乾ギャラリー(東京)
西武池袋(東京)
橋本美術(名古屋)
ギャラリー数寄(愛知)
ギャラリー器館(京都)etc.