平成甲午、謹んで新玉の御慶申納め候。皆様ご清祥にお過ごしのことと拝察申上げます。本年も何卒のご贔屓伏してお願い申上げます。
また新しい年がめぐってまいりました。東北のあの一事がまこと気懸りではありますが、まずはめでたいといたしましょう。
歳月というのは、こちらの了承なしに勝手にやって来て勝手に過ぎ去ってゆきます。これを過ぎるにまかせるか、いや了承した覚えはないと抵抗するか、人それぞれなのでしょう。まあみなさん不承不承といったところでしょうか。いずれにしても、日月梭(ひ)を投ぐるより早しというのが実感ですが、古人は時間は永遠の模像のようなものといっております。まるで心理学でいう視野闘争のようにもの事が次から次と迫りくる日常にあっても、どこかでその模像とやらを見つめ直し、一瞬を永遠にとらえ直すといいますか、時間をゆったりと受け止める気持ちを失いたくないものだと思います。この点筆者などは痛切なる反省を要する者に思っております。
本年初頭の展は、滝口和男展であります。滝口さんとは長年仲良くさせていただいていますが、今回が初個展となります。すでに確乎とした独自の境地にある人でして、受賞歴は赫々たるものあり、日本陶磁協会の協会賞受賞作家でもあります。しかしそれはさておき、筆者がつとに注目してきた彼の作域に、詩情あふれる色絵の世界があります。勝手ながら筆者はこちらのほうにこの人の真骨頂を窺うのです(他方で彼には、数々の賞を総なめにしてきたobjet的な作品群があります)。
滝口さんの色絵の世界は、詩人に見るような、浪漫的な抒情に満ちております。彼は自分の作品一点一点に、もれなく詩の断片のような言葉を添えます。こういうことをする人を筆者はほかに知りません。それは作品のタイトルというものでもなく、短詩というか、和歌や俳句の上句とか下句のような文節の体をなしています。その言葉が余韻を発し、それを受けた作品が、あたかも韻を踏むような働きをして言霊と物が一体化します。そんなふうに言葉が作品に沁み入り、合一して、一篇の詩として成立しているようなものを見ると、ある種の文学的感動さえ覚えます。高度に洗練されたロマンチシズムのそれです。彼の胸中には豊かな詩藻がたゆたっているのでしょう。
ところで、大正から昭和初めにかけて活躍し、三十歳にして夭逝した中原中也という詩人がいました。中也はガラスの心を引っ提げ、生と死のあいだを彷徨しつつ、ズタズタになりながら人間の悲しみや孤独、また人生の倦怠といったものを、哀情あふれんばかりに謳いあげた詩人でした。日本浪漫主義文学における早熟の天才だったと思います。筆者は、この中也の世界に滝口さんが触れたら如何にあいなるかと、深甚なる興味抑えがたく、はばかり畏れながら中也の詩集を一冊手渡してしまいました。それっきり督促がましいことはとても言えなかったのですが、意外や今展に中也にインスパイアされた作も何点か出して下さるとの由、なにか冥利につきるような思いでいます。もちろん滝口さんなりの独自の反応の仕方でしょうが…。乞うご期待であります。何卒ご清鑑賜りますようお願い申上げます。
葎
KAZUO TAKIGUCHI
1953 京都市五条坂に生まれる
1978 京都市立芸術大学美術部中退
1985 日本陶芸展 外務大臣賞受賞
1985 日本新工芸展 日本新工芸会員賞受賞
1986 中日国際陶芸展 準大賞受賞
1986 京都府工芸美術作家協会展 京都府知事賞受賞
1989 日本陶芸展大賞・秩父宮賜杯受賞
1990 MOA岡田茂吉賞 工芸部門優秀賞受賞
1991 五島記念東急文化賞 美術新人賞受賞
1991 日本陶磁協会賞受賞
1992 ロイヤルカレッジ オブ アート(イギリス)修了
1996 京都府文化賞 奨励賞受賞
2003 「現代陶芸の華」展(茨城県陶芸美術館)
2004 和光にて個展(2008、2013年)
その他各地で個展、グループ展多数