鯉江良二、元気、元気、そして「元気の裏側」
昨年9月、長三賞常滑陶芸展審査の折、久しぶりにお会いした。術後でいかがかと、心配しつつお目にかかったら、元気、元気!! これまでと何も変わらず、審査評、芸術論、そして行政への苦言と、鯉江流を通しておられた。当時、韓国の大規模な展覧会の仕立中で、何度も東京と韓国中部の清州を往復していて、少々ばて気味で、「鯉江さん元気、こちら空元気」といった言葉が浮かんできた。
というのは、名言のたくさんある鯉江語録の中で「元気」は重要なキーワード。「四男一女、妻元気、私空元気」。1987年の名句である。奥さんのそのさんの確固たる存在を知っている方たちは「妻元気、私空元気」の部分が強度のリアリティーを伴って迫ってくるのである。
「元気」の傑作の一つは「元気の裏側」である。「鯉江さんの周りにはいつも人がいっぱいいる」。これは故奥野憲一氏の名言。常滑天竺設楽上矢作、そしてスペイン、韓国、アメリカなど、海外にもたくさん仕事場を求め、広げてきた鯉江さん。各地でたくさんの人が集まった。その代表が大規模集団焼成事業。たくさんの人たちが参加して大地を焼き、鉄板を焼き、ホウ炉壁型に角材と石を焼いてきた。とくにこうした大規模な集団的実演で、日常にはないパワーを出し切ったあとの心地好い疲れ、これが「元気の裏側」の代表的なものである。「これが特別、気持ちがいいんだよね」。とにんまりしながらビールを飲むのである。このシーンにはまず何といってもビールだろう。ドクッという注ぎ音、シューっと泡が立つ。これがなくてはならない。
ビールが本当にうまいもんだと思ったのは、鯉江さんとガラスと高橋禎彦氏である。1990年、奥野氏の企画で「鯉江良二ガラス展」(池袋西武)が開かれ、高橋氏の全面的協力で、神奈川県津久井の山中の高橋スタジオで制作が行われた。このスタジオのロケーションは素晴らしい。今で言うといわゆる里山。豊かな自然ときれいな空気。制作の立ち合いに疲れ、寝袋で少し仮眠を取り、起きて高橋氏手作りのアメリカンブレックファストをいただく。かぎりなく気持ちの良い朝日を浴び、スクランブルエッグにトーストのなんとうまいことか。それに朝からビールである。そののど越しの良さは究極である、と36歳くらいになってから酒を飲み始めた(これはあまり信じてもらえないが、ほんとである)僕は思ったのである(当時41歳)。先に参って寝てしまった僕にはこれが「元気の裏側」タイムであった。
今回もガラスが出品されている。その中の少し傾きつつこどものほっぺのようにぷくっとふらんだボウルがある。鯉江スタイル健在である。あの34年前の山の中を思い出す。あれから随分と経った。しかし鯉江さん、まがうことなき「元気」である。またご一緒に「裏側」を楽しみたいものだ。 (金子賢治・茨城県陶芸美術館館長、美濃焼ミュージアム館長)
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先生漸く病を得て応接にいとまなきところ
常ならぬ日々にも目的あるを望まんと領諾せられ
写真に送られ来しものは意表に出でて硝子碗なり
危うき処に遊び来たりし稀人 鯉江良二
此度のレザレクシオン(Resurrection)
Theを冠せばジーザスの謂いなるも
先生におかれましてもヒソミに倣いご帰還いただき度
如何様にもと一日千秋の思いにてお待ち申上候
恐惶謹言
(ご寄稿賜りし金子賢治氏に深謝します。写真の硝子碗
制作アシストは常滑の飯田尚央氏です)
葎