巨視的とか微視的というが、どちらもつきつめて行けば、私たちの肉眼で見える範囲を超えてしまう。たとえ科学の粋を以てしても同じことである。見えるものと見えないものがある。見えたつもりのものがある。思うに極微の世界も極大の世界も、結局は私たちはそれを見て知るということはできないだろう。神の世界創造の秘密をうかがい知ることなど私たち人間には出来ない相談と得心しておくべきである。あんまり近づきすぎると罰があたるのではないか。釈尊が、微塵世界も三千大世界も無いと云った裏の意味がわかるような気がする。あるけれども無いのである。だから人間の既存的なあり方がそもそも根本的にはかないものを、自我というものを肥大させ、自我の問題に思い患っている姿を見ると片腹いたい、もう一度説き明かしてやろうかと、釈尊が今にあるなら云うかもしれない。しかし我も含め現在の私たちはもう傾ける耳を持たないように思われたりもする。芸術をすなる人が、そのへんを担うということがあっていいのではないかと思ったりもする。
高柳むつみの作はディテールを極め、それは眼を近づけるほどに、さらなる異次元のディテールを発見するといった具合である。遠ざかればディテールのなかのディテールは視覚の圏外となるが、一度見てしまった微塵なディテールは残像として残り、また眼を近づけようとさせられる。ディテールと全体が強烈な連鎖反応を起こしているようで、それが彼女の作の存在感を特別なものとしている。微塵世界と三千大世界を、断片的にも抽象し得ているように思われるのである。清浄である。神性とか聖性宿るがごとしの風情である。それが精妙な技術によって実現されている。筆使いとロクロ技は、結構な職人でもはだしで逃げ出しそうである。まだ弱冠二十代のはずである。まこと不思議な人である。刮目すべき新進といいたい。当方の注文としては、向後の彼女の仕事の継続のみなのである。
本年掉尾の展であります。何卒のご清賞をお願い申上げます。
葎
TAKAYANAGI, Mutsumi
2008 京都市立芸術大学 卒業
ヘルシンキ芸術大学に派遣留学
2010 京都市立芸術大学 大学院 修了
現在 富山県八尾町にて制作
展覧会
2010 手のひらカフェ’10(monoff・京都)
懐石の器展(ギャラリー器館・京都)
もうそうのふきだし展(ギャラリーマロニエ・京都)
アジア現代陶芸展(韓国弘益大学・韓国)
2011 くうきをうつす/磁器 やまびこのアロー(INAXギャラリー・東京)
佐加豆岐の展PART V (ギャラリー器館・京都)
くうきをうつす/磁器 古城のプロペ(galleryはねうさぎ・京都)
ものうみ 奄美復興支援展(清課堂・京都)
奇想の女子陶芸(阪急百貨店うめだ本店・大阪)
Art Auction STORY…vol.2(関西日仏会館・京都)
ガレリア セラミカの夏 器・小さなオブジェ・道具展
(INAXギャラリー・東京)
2012 わんの形(gallery VOICE・京都)
陶世女八人展(ギャラリー器館・京都)
2013 くうきをうつす/磁器 マルトリケトラ
(田口美術・岐阜/宝鑑美術・愛知)
高柳むつみ展(ギャラリー器館・京都)
2014 叶道夫・松谷展 併催企画展(@KUCA・京都)
POINT展(田島美術店・東京/伊藤美術店・愛知)
15周年企画展 茶碗展(ギャラリー数寄・愛知)
ぐい呑展(ギャラリー数寄・愛知)
高柳むつみ展(ギャラリー器館・京都)