このあいだテレビで、昨年九十三で逝った漫画家の水木しげるのインタヴュー番組をやっていた。水木は、生涯ミュートスの世界のことを描き続けた人であり、先の大戦では、ほとんど地獄だった南方で片腕を失った人でもある。あのむちゃくちゃな戦場から、稀有の生還を果たした人である。「近年、自殺者が三万人を超えていますが」。といったアナウンサーの質問を受けて、水木はちょっと沈黙したのち、「おそらく若い人が自信と希望を持てないのでしょう。死ぬのならそれでいいと思います。死ぬのはぜいたくなことだからね」。とそのようなことを言っていた。筆者はそれを聞いて、どういうのか、あらためてこの人を見直してしまった。水木は決して絶望者でもなければ、ニヒリストでもない。国営放送のアナウンサーのほうは絶句していたが。
人はだれでも幸福になりたいと願う。それが人間としての意志の自然のあり方といえる。しかしこの世はままならぬところであって、幸福を求めながらも、私たちは選択において多くの過ちをおかす。そしてかえって不幸におち入ったりする。昔からへたに幸福を求めたりするから、不幸になるのだということがストア派からもいわれている。しかし長い人生、強い精神を以って、ストアの徒としてずっと通せるかどうかはむつかしいだろう。やはり私たちは幸福を渇望するのである。そして今生であがいたりもがいたりして、幸も不幸も経験しておさらばしていくのが普通なのではないか。もしちょうど幸福の目が出たところで、おさらばできたら上々の人生なのではないか。
人生などというものは、おおよそそういうものであろう。明日をたのまないと同時に、また明日という日もあり得るということを考えて、今日この一日というものを生きなければならないということになるのだろう。もっともこのような姿勢も、凡人にはなかなかむつかしいことのように思われる。しかしながら、私たちの毎日の生活は、自分では気づかなくても、なにかそのような心がけで営まれているようにも思われる。つまり人間の智慧というようなものがそこに見られるのではないか。ただ私たちは偶然のかたまりみたいなところがあり、その上しばしば選択をあやまるのが常なのであるから、失敗や不幸はやっぱり不可避であると言わなければならない。だから私たちは、そういう失敗や不幸を気に病むよりも、あらかじめ覚悟しておくほうがかしこい生き方なのかもしれない。まあ幸福の定義は困難である。あれこれ思い浮かぶが、なにも確実なことは言えないようにも思われる…。
私たちは欲ふかいもので、幸福にあるときは永遠にこれが続いてくれればと思ったりする。しかしそれは出来ない相談で、私たちは有限の存在だからして、この生の連続の先は、死という断面によって切断されているのである。だから死んでしまえば花も実も咲くことはないのである。死という絶対事の前では、人間の幸不幸など、夢まぼろしのようなものなのかもしれない。『夢の世は夢もうつつも夢なれば醒めなば夢もうつつとぞ知れ』という歌が妙に忘れられない。たしかにこの世で見るもの、経験することの一切は夢のような気もしてくる。しかしながら、これでは虚無とか無常観に傾斜しすぎる東洋的な見方というものであって、私たちはやはり厳に存在するものとして存在しているのだと思いたくもなる。今生における勝負だけがすべてで、それですべては片づいて、死んだらあとはなんにもなし、忘却と無しか与えられないとすれば、なにか不足を感じさせられるような気持ちになってくる…。では、水木しげるが観ていたであろう不死とか永遠とか心魂の問題はどうなのか。幸福の問題もそういった私たちを超える、形而上のものとの繋がりをまったく欠いては考えられないように思うのである。今生のみだけでは、人生に生起する幸不幸もただの一睡の夢にとどまってしまうのではないか。それではさびしいし、つまらないのである。
芸術の人がなす作品や仕事は、今生を超えてなお語られる後日譚のようなものかもしれない。その営為を励ます力となるものに、エロースという神の存在を置いてもいいだろう。昔から人は、エロースを不死とか永遠への願いとして憧憬してきた。そしてエロースはつねに美とともにある。写真の村田彩の作品を見ていると、よくぞ作ったりと思わせるものがある。ほとばしるような色彩と本能的生命力を感じさせる。彼女は、これをあとに残そうと、永遠への憧れとともに、子孫を残すようにして作ったのであろう。すなわち彼女のこの真摯な、一所懸命の営為は、今生を超えてゆく幸福を志向するものなのだと思う…。とは申せ、彼女もこの世に生きる人、今生のあとの後日譚といったものはさておき、おたがい生きている者同士のよしみということで、今展で彼女の仕事に対し大方の評価を賜らんことをお願い申上げ度思い云爾(しかいう)。
初個展であります。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-
Aya MURATA
2007 神戸ビエンナーレ2007 現代陶芸コンペティション入選
2008 京都工芸ビエンナーレ 入選
第8回国際陶磁器展美濃 入選
2009 The 5th World Ceramic Biennale 2009
KOREA (韓国) 入選
2011 第9回国際陶磁器展美濃 入選
2012 京都府美術工芸新鋭展 -2012-
京都工芸ビエンナーレ/京都文化博物館
2014 第10回国際陶磁器展美濃 入選
2015 琳派400年記念新鋭選抜展/京都文化博物館
コレクション
2009 KOREA CERAMIC FOUNDATION
2011 新台北市立鶯歌陶磁博物館
2011 国立台南芸術大学
2012 滋賀県立陶芸の森