山田晶の初めての個展は一九九九年だった。はや十七年を数えることになる。一九九九年といえば二十世紀である。二十世紀は遠くなりにけりではないが、なぜか二〇〇〇年を越えてからの年の降りようは、とみに速く感じられる。歳をとった証拠かもしれない。そしてうかつにもあっという間の二〇一六年である。もの作る人としての山田晶の来し方は、この間、如何なものだったろうか。彼にとっても日月の過ぎようは、経糸(たていと)のなかを走る梭(ひ)のごとくだったのではないか。芸術の人の目指すべき価値とか実現は、遼遠のかなたにあるともいえる。日暮れて道遠しというような実感は、筆者のような者よりずっと切実なものがあるのではないかと想像される…。
歎異抄のなかで唯円は、師匠の親鸞におのれの信仰の疑念をぶつけている。要するに念仏しても私は全然ダメだというのである。その疑念は最初からのものではなく、信仰を深めるにつれだんだん大きくなっていったのだろう。それはひそかな悩みであったろうと思う。これに対し親鸞は、意表をつくように、自分にもその不審があったが、お前もそうだったのかという。さらに、そのような疑念が湧いてくるのは、自分もお前もそうだが、煩悩の深さ、強さから来るものであって、まさにそういう者たちを救うためにこそ弥陀の本願は立てられたのであるから、「いよいよ大悲大願はたのもしく、往生決定だ」と思えと諭(さと)している。なんだか詭弁のようだが、これで親鸞と唯円の間では通じるのである。すでに同じ信仰に生きているからだ。
しかし親鸞の弟子唯円に対する態度と応答は立派だと思う。たがいの人格を愛し、切磋琢磨し、励まし合い、教え教わるといった師弟関係は、現在ではもう見つけにくくなっている。そのような「善き人」との人間関係はもうほとんどないのではないか。私たちは、弥陀の大悲大願のことを聞かされても感銘するだろうか。あるいは来世はあるのだとか、反対に来世はなにもなく、死後の悩みの心配もないとかいわれても、驚いたり安心したりもしないだろう。私たちは死を忘れ、死に無関心なのである。宗教が衰微するのもむべなるかなである。宗教が未来を来世としてとらえて、かつこれを死に即して考えていることには、絶対的な意味があるのではないか。一方私たちは、未来は来世にあるのではなく、現在の歴史の延長線上にあるかのように思っている。そして救いは歴史上のいつかどこかで、科学技術の進歩とか福祉国家の完成とか、なにかそのようなものが完成されることによって成就されると信じている。いや信じようとしている。予言を信じるようなものである。しかし未来などというものは、私たちがハンドルできるものではないのである。これも一種の他力のようなものかもしれない。しかしながらこの種の現代人の信仰も、根底からゆさぶられるようなことになってきているのではないか。
いよいよこうなってくると、親鸞や唯円が経験したような救いや確信がうらやましい。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、親鸞一人がためなり」…。このような救いが、もう一度現代の私たちのために体験されるのでなければ、宗教はもはや意味を持たなくなるのではないかと思う。現代の宗教者が、内輪の、自分たちだけの言葉で語っても無縁の衆生の耳にはちっとも届かないのである。まずは若い宗教者が真摯な不審を「善き人」と一緒に考えるということが必要なのではないか。おそらく歴史主義への批判が新たな宗教への突破口になるのではないかと思うのだが…。
閑話休題にて。山田のキャリアもすでに相当長い。その間、唯円ではないが、彼も制作の悩みや困難、自分自身に対する不審も経験してきただろうと思う。芸術の人の悩みや不安は深いものがあるのである。しかしそんなことはおかまいなく、彼の営為には継続ということが第一に求められるのである。変化や向上も当然のように求められるのである。それに耐え応えるかどうかは勝手だが、見物は残酷なものなのである。もの作るという営為は、信心と同じく、一時のことではなくて常時のことであらねばならないと思う。そのなかで大小の波瀾がありうるだろう。いやありうべしである。波瀾によって、心がもう一度初心にかえり、これを強めるということがある。忘れがちの初心を取りもどし、もう一度再生するのである。唯円の体験がそうであったろうと思う。山田の作るものはすでに美しい姿、上品の風情、得がたい色目を示して出色である。これのさらなる継続と変化と向上を期待させていただきたい。波瀾のたびに、何度でも初心発心を奮い起こしていただきたく思うのである。なにか説教じみてきたが、決して上からいうのではない。勝手乍ら一人の友のような者として励ましたくていうのである。-葎-
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Akira YAMADA1959 京都に生まれる
1983 京都府立陶工職業訓練校終了
1984 京都市立工業試験場本科卒業
●個展(主なるもの)
1993 ギャラリーマロニエ(京都)
ギャラリー玄海(東京)
1995 Club RIMIX NOISE(益子)
1997 土の花(東京) 2001
1998 ギャラリーにん(東京)
1999 ギャラリー北野坂(神戸)
ギャラリー器館(京都)
2003 阪神百貨店(大阪)’05 ’07 ’08 ’11 ’14
2000 松屋銀座(東京)
2001 ギャルリ・プス(東京)
2003 ギャラリーにしかわ(京都)’05 ’06 ’07 ’10 ’14
2010 祇園小西(京都)
2012 天満屋広島店
2013 東急渋谷本店
天満屋岡山店
2014 LIXILギャラリー
2016 ギャラリー器館(京都)
●グループ展
1986 朝日現代クラフト展
1987 ’86日本クラフト展
1988 朝日陶芸展
1989 セラミック アネックス シガラキ’89 (滋賀県立近代美術館)
1991 錫・皮・陶 三人展(伊丹市立工芸センター/兵庫)
1992 The Wall展(三越京都祇園ギャラリー・
淡路町画廊/東京、益子陶芸村/ 栃木)
1994 ビヨンド・ベセル 器の概念を越えて
(マクドガルミュージアム/ニュージーランド)
La Parfum(ギャラリーKUKI/パリ)
1996 土の周辺展(聖ジャック教会/パリ)
2000 国際陶芸交流展(中国美術館/北京)
2003 2003現代韓日陶芸展(錦湖美術館/ソウル)
韓日陶芸作家交流展(ギャラリーSAGAN/京都)
2005 湖国を彩るやきもの(滋賀県立陶芸の森)
2006 ビヨンド・ザ・ボーダー(シンガポール国立図書館)
2007 朝日現代クラフト展招待出品(阪急百貨店/大阪、横浜)
SOFAニューヨーク(ニューヨーク)
2009 陶のかたちVI(ぎゃらりい栗本/新潟)
並ひ