KOIE RYOJI and The FELLOWS SHOW 鯉江良二という人は、生来酒とタバコとは昵懇の間柄で、常に強い酒とタバコが身辺にあったように思う。ときに仕事をしながらも飲み、仕事が終われば痛飲してバタンキューと人事不省におちいる。酒は、ウィスキーとかスピリッツ系の度数の高いのがお好きである。そういえばタバコの銘柄もスピリッツであった。カチカチに葉の詰まった強烈なタバコである。傍(はた)で見ていてこの人の五臓六腑はどうなっているのかと心配になることがあった。しかし鯉江にとって、酒とタバコ、分けても酒は好きというよりむしろ必要なものだったように思われる。昂揚と仮死と蘇生をくり返すことで、どうにかこうにか精神の平衡をたもっていたのではないか。あの世とこの世との往還に似たものなのかもしれない。酒神ディオニュソスに魅入られ、長らく可愛がられていた日常があったのだ。しかし神に魅入られたりしたら剣呑である。しばしば神はその愛する者をこの世から引き抜いていってしまうのである。
人はやがては老い、病み、そして死ぬ。思うに人生でこれほど絶対確実なものはない。先生もようやく病を得られ、この数年来厄介な病を養っておられる。つらい思いをされておられる。最初で最後の病ともなりかねない大病であった。そして声を交換条件に辛うじて生還された。非常に心配させられたものである。しかし健康な者に病む者のつらさや本当の気持ちなどわかりはしない。いくら心配顔をしてもダメである。病人はとっくにお見通しである。両者の間には越えられない川のようなものがあるのである。ここにおいて健康とはいやなものだなあと思う。この世はやはり生きている者たちの世の中なのである。
2013年から翌年にかけて、先生は生死をわける手術を二度されたと記憶するが、筆者のところでは、その真っ最中に、間隙をぬって先生のお宅へ二回押しかけている。どういう了見か、ドキドキしながらであるが、まだどっちにころぶかわからないような人にご無理をお願いしに上がっている。親孝行したい時に親はなしといった、あせるような気持になっていたのかもしれない。しかし箱書きしてほしい時に作家はなしといった、なにか計算の入った了見とは違う。伺ったとき先生はこんなのを作ったと、奥からガラスの碗を数碗持ってこられた。常滑に若いガラス作家がいて仲良くなったらしく、その人のアシストを得ての作であった。それらはフォルム、ディテールに渡って如実に鯉江ナリを示しており、立派に茶碗にかなう姿風情をしていた。さらに二度目の押しかけでは、焼〆の茶碗を見せられた。先生、のどに穴があいているので、ロクロの構えができないということもあって、いわゆる玉造りによる茶碗であった。先生は即興の人かと思っていたが、ロクロから手捏ねへ、ガクンとスピードダウンするなかでもその真骨頂は顕わであった。おそらく削りに活路を見出したのだろう。鯉江良二における新手(あらて)を見せられたような思いがしてまさしく新境地ではないかと驚かされた。嬉しくなって生意気ながらほめまくって差上げた。
先生の心中の奥の奥はわからない。死と虚無の淵の深さをじっと見つめているのかもしれない。しかし先生を見ていると、かく自身の問題と状況が絶体絶命のようなことになっても、人に接してはカラ元気を惜しむことなく、只今刹那を生きているということの価値と意味を全身で示唆されているようにも思われる。ここのところがえらいと思う。
不思議に命永らえてというが、思えば私たちは皆、不思議に命永らえてといった存在なのかもしれない。私たちは死なずに辛うじて生きているにすぎない死すべき者どもなのである。唐突だが先生の場合、至上の神エロース神の命令により、ディオニュソス神の追放令が鯉江良二に与えられたのである。今しばらくお前が作るものによって、神々の世界と人間どもの世界のよき媒介者であれと…。先生は不思議に命永らえた。もうぼちぼちでいいのである。ふたたび神々の嘉(よみ)するようなものを作りだすのではないか。そんな予感が筆者にはしてくるのである。
今回は楽茶碗に遊んでいただきたく思い、黒楽に用いる〝加茂川石〟などを用意して、京都精華大学でのレクチャーやワークショップもからめつつ、楽の本拠地、京都での展観まで持って行きたく存じております。ガラスの作品も多少出させていただきます。
また先生の身体のこともあり、賛助といったかたちで先生の精神を慕っておられると思われる中堅若手がゲスト出展してくださいます。
●内田鋼一
●奥村博美
●加藤委
●金憲鎬
●鯉江明
●村田森の六氏です。各位には加茂川石をすでにお渡ししております。何卒のご清鑑をお願い申上げます。
(京都精華大学のワークショップでは、奥村博美教授そ の他の方々に大変お世話をお掛けいたしました。ここ にあらためて深謝いたします。)
葎