堤展子の展観も今回で八度目となる。思えば作者におかれても懲りずによくお付き合い下さったものと思う。その間二十年以上、これもなにかの縁が働いてのことであろう。筆者は筆者なりに、彼女とその作品の理解者を自認しているつもりでいる。作品にふかく同情するところあり、これまでに何度も彼女の人と作品について作文して述べてきた。だからいいたいことはもう尽きた感がある。しかしそういうわけにもいかないのでここにあらためて、彼女の無二なところ、真骨頂といったものを、御免を蒙りまたまた再述してみたいと思う。
それはやはり〝作品ハ人ナリ〟ということである。
つとに記す、彼女の作品にはある種の毒性がひそんでいる。ただし盛ってやろうと思って盛っている毒ではない。それは彼女の人並みはずれたナイーヴさに由縁するものである。彼女は非常にデリケットな神経の持ち主である。情緒が少しく不安定である。異常な気遣い屋と思わせる一面がある。そのせっかくの気遣いがすべる。こういう人は傷つきやすい。だれも傷つけていないのに一人で傷ついたりする。そしてその傷が膿んだりすることがある。膿んだら毒である…。こういう人は世の中にたくさんいるのかもしれない。いやだれだって生きているかぎり無傷ではいられないはずである。私たちは知らずに人を傷つけねばならず、人と争わねばならない。また自分も傷つき、悩まなければならない。しかしこと堤の場合、その傷つく感受性は、余人とは違うステージにあるように思われる。なんというか、もっとぎりぎりの境域にわだかまっているような感受性の持ち主のように思われるのである。
そんな堤の精神の、いわばわずらいの部分が、彼女ならではの陰翳を作品に与えているのである。その陰翳の奥まったところに毒性が、あるいは寓意性が垣間見られる。それは堤ワールドといってもよいものである。彼女の場合、精神の弱点が一つのモメントとなって創作を助けているのである。醜悪で瑣末なものでも、遠慮なくあるがままに出してくるところがある。文学でいえば自然主義文学である。彼女のよくできた作品はすぐれた私小説のような観を呈している。あるいはミュートス的世界をなしている。やきものをすなる人としては、稀有な一人であるといいたい。
ひいては連関するように、おのずから彼女の作品にはそこはかとない哀切感がただよう。歓楽きわまれば哀情多しという。金ピカ、ショッキングカラー、下手なのか上手なのかわからないような、おかまいなしの押出しのなかで、ヒリヒリとした哀しみといったものを感じる。フィギュアリンに、茶碗に感じてしまう。それは高麗茶碗のショウジョウとした、もの侘びた風情とは別種のものである。道化のクラウンがおどければおどけるほどに見物が感じてしまう哀しみといったらいいだろうか。
筆者は、彼女のことを子供のような人だと感じることがある。大人の社会になじみきれない子供のままの人。しかし子供のときに住んだ失楽園に郷愁をおぼえ、恋こがれるのは大人のほうなのではないか。堤はいまだに失楽園に住む人なのかもしれない。筆者は彼女のなかの多少の厄介さに困惑しながらも、彼女の心にガラスのような透明な部分を見る。そこに彼女の弱さも透けて見えるが、そのような無垢な、フラジャイルな精神のもろさのある人でなければ、作品に深く陰翳を刻むことはできないのではないか…。
と、以上このようなことをこれまで書いてきたように思う。畢竟、作品ハ人ナリということである。筆者の好きな言葉に、この世は生きている者の世の中であるという言葉がある。なにか身も蓋もないような言いようだが、日ごろ拳々服膺している。生きている者として、堤の人と作品に親しめば、やはり作品ハ人ナリという感は、生きている彼女とともにリアリティーをもってこちらに迫ってくるのである。しかしこの現実感は生きている限りのものともいえる。作品ハ生キテイル者同士ノモノナリ、というのが本当かもしれない。しかし制作する人はものが残るのだから、死してもなお作品が生き続けることがある。大いなる価値とその人の心魂が、一緒になって光輝を放っている作品がこの世に見られる。そのようなものには永遠性が与えられるのではないか。芸術の目指すべき価値とはそこにあるのだろう。イデアなしに芸術は成立しないのである。
作品ハ人ナリということは、彼女のような人にとっては、とくにつらいことなのかもしれない。しかし作家はそこから逃れることはできない。彼女は自身のアイデンティティーを示し続けるしかないのである。筆者は長年のよしみで、一方通行であろうとこれからも彼女の作品の真の友の一人でいたいと思っている。
今展では、オオサンショウウオと河太郎(河童)が多く登場してくると思う。井伏鱒二のミュートスに山椒魚というのがある。イソップの寓話のような初期の短編である。じっとし過ぎて出られなくなった岩屋のなかの山椒魚。そこへまぎれ込んできたカエル。両者の、反目とののしり合いを経て、最終的には同情と和解へいたる物語は、すぐれて日本的である。イソップなら、山椒魚がカエルを食ってしまうか、もっとなにか人間のどうしようもない側面を暗示して終わるのだろう。カエルが飢えて死ぬばかりとなったとき、山椒魚が聞く。お前はいまなにを考えているのかと。するとカエルは〝いまでも別にお前のことは怒ってはいないんだよ〟と答えるのである。いろいろとあったが、この際水に流そうということである。この場面、ここでついに両者が仏性を顕わすといったシーンのように思われる。
ちょっと方角違いの係り結びのように思われるが、堤の場合も、上述のような彼女の内奥がさまざまな作品となって流露するとき、そこには浄化とカタルシスのようなものが顕れているように思う。これは不思議なことである。堤の作品世界には、そのような一面もあることを付け加えたいと思う。
しどけない消息文のようなことになったが、作者と大方のご寛恕を請いつつ、依って件(くだん)の如しということにて…。-葎-
NOBUKO TSUTSUMI
1958 大阪府東大阪市に生まれる
1982 大阪芸術大学芸術学部工芸学科陶芸専攻卒業
1983 京都市立工業試験場窯業科本科卒業
1992 アメリカ滞在[~’93年]
(ビーマスファンデーションレジデンス)
現在
大阪産業大学建築・環境デザイン学科准教授
精華大学芸術学部素材表現科陶芸コース非常勤講師
個展
1984 個展(ギャラリーマロニエ、京都府)
[他に85~87、91、96、08年開催]
1988 個展(ギャラリー白、大阪府)
[他に89、00、01、09、11、12、14年開催]
1990 個展(ギャラリーすずき、京都府)
[他に10年開催]
1993 個展(ビーマスファンデーションギャラリー、米国)
1997 個展(ギャラリー器館、京都府)
[他に98~00、02、04~06、12年開催]
2005 個展(黒田陶苑、東京都)
2008 個展(岡山遊美工房、岡山県)
2009 個展(京都ブライトンホテル、京都府)
2013 個展(京阪美術画廊、大阪府)
2016 「堤 展子 生きもの・やきもの・かわりもの」
(西脇市岡之山美術館、兵庫県)
グループ展等
1980年代初めより国内外の招待を受け出展
1983 「TO展」(大阪府立現代美術センター)
1985 「第6回国際インパクト・アート・フェスティバル’85」
(京都市美術館)
1986 「セラミックアネックスシガラキ’86」
(滋賀県立近代美術館、信楽伝統産業会館)
1987 「アートナウ’87」(兵庫県立近代美術館)
1989 「美術の国の人形たち」(宮城県美術館)
1990 「国際花と緑の博覧会」
(国際花と緑の博覧会国際展示大地の館、大阪)
1992 「現代陶芸国際邀請展」(中華民国国立歴史博物館)
1994 「国際陶芸展」(プラハ国立博物館、チェコスロバキア)
1994 「クレイ・ワーク展」(国立国際美術館、大阪)
1996 「国際陶芸アカデミー会員展」
2001 「世界陶芸博・国際陶芸アカデミー会員展」
(チョーソン・ロイヤルキントン美術館、韓国)
2003 「現代陶芸・14人の尖鋭たち-器から造形へ-」(高知県立美術館)
2004 「国際陶芸学会展」
(イチョンワールドセラミックセンター、韓国)
2005 「さかずきの宇宙展」(市之倉さかずき美術館、岐阜県)
2009 「おくりもの展」(ギャラリーすずき、京都府)
2010 「酒器展」(伊丹市立工芸センター、兵庫県)
「茶会-試みの茶事参加」(東京国立近代美術館工芸館)
2011 「創立65周年記念 京都工芸美術作家協会展」
(京都府京都文化博物館)
2012 「酒器展(ギャラリー器館、京都府)
2013 「ナンウンアジア陶芸シンポジウム現代陶芸展」
(南原市民陶芸大学、韓国)
「奇想の女子陶芸展」(阪急百貨店、大阪府)
「日韓陶芸展」(ギャラリーマロニエ、京都府)
2015 「琳派 400年記念現代作家200人による
日本画・工芸展 京に生きる 琳派の美」(京都府京都文化博物館)
パブリックコレクション
滋賀県陶芸の森、プラハ国立美術館(チェコ)
佐賀県立美術館、アリアナ美術館(スイス)
カナディアン・クレイ・アンド・グラスギャラリー(カナダ)
パリ装飾芸術美術館(フランス)
ミュージアム・オブ・アーツ・アンド・デザイン(アメリカ)