芸術の人が制作に没入しトランス状態のようなことになっているときは、一種の神がかり的な境地にいるのではないか。そして、作品が成ったあとはモヌケノカラということがある。このことは本来、芸術は作品がすべてということを示唆している。その作品が美しければ、真に迫っていればすべてよしなのである。その人がどのような人でもどうでもいいのである。だから享受側は、本当は作品だけを見て、その人を見ずというのが鑑賞のさまたげにならなくていいのかもしれない。作家のほうも本音ではそれを望んでいるのかもしれない。しかしながら一方、この世は生きている者同士の世の中である。どうも筆者などは作家その人に興味が向いてしまう。作品は人なりともいう。やはり作られたものには作家の人とナリというか人物が映し込まれているのである。そこを実地に知りたいと思ってしまうのである。ご当人には迷惑千万なことなのかもしれないが…。
滝口和男という人の来し方につき事実と想像をこきまぜ述べれば…、彼は五条坂の、卸しも兼ねた陶家の生まれである。曾祖父の代に加賀の大聖寺から京都にやって来たとの由。祖父の代になって「光石」という号を屋号とした。職人を抱え、問屋業も兼ね、手広く陶業を営み盛んであったという。光石という号は、現在は滝口の妹が継いでいる。すなわち京焼の窯元として、曾祖父から四代にわたって家業をつないできているわけである。本来ならば滝口が光石なのであろうが、妹に継がせたのは滝口であろう。作家としてのフリーハンドを確保するためかもしれない。しかし光石窯の実際の主宰者は滝口だと思う。
滝口は1953年生まれである。彼の幼少期から十代二十代のころを思えば、あの狭い清水五条坂界隈は濃密な空間だったように思われる。各職の玄人集団が衣食できていた最後の時期であったし、マキで焚く共同窯もまだあったはずである。六代六兵衞、楠部彌弌、八木一夫の歩く姿も見ているのではないか。まさに郷愁の失楽園的風景である。新興分譲地のような清水焼団地へ追いやられる前の話である。そのような失われし最後の時代の空気を滝口は呼吸していたのだと思われる。
ところで今回の展に際し滝口の経歴をなんとなしに眺めていて、ふいに聞いてみたくなったことがあった。彼はたしか、同志社大学を出てから京都芸大に入り直している。同志社は何学部か知らないが、なにか迂遠な曲折したコースのように思われる。そしてせっかく入った京都芸大を途中で中退している。なぜと問わば、中退の訳は子供が出来たからであったらしい。なあんだと思ったが、彼にしてみれば切実な事情だったであろう。学生などやっていられないということになったのだろう。
それからもうひとつ聞いたみたい点があった。滝口のあの絵画的世界の技法的な部分はどのようにして身に付けたのかということである。彼はこれといった絵付けの修行をしたこともなく、師匠に付いたこともない。しかし妹の光石がいた。光石がその道の専門教育をちゃんと受け、絵付師としてすでにものになっていた。妹から技術的なものは吸収したのである。見よう見まねというところであろうか。ちゃっかりしてるようだが、滝口の唯我独尊的な一面を窺う思いがする。余談だが、妹光石は八木一夫の晩年、宇治炭山の工房に手伝いとして入っている。滝口の話では、八木はそのころ色絵か染付か、絵付けの仕事に本格的に取りかかろうとしていたらしい。光石はそのために呼ばれたらしい。八木は巨大な重力と引力を持つ人である。また感度抜群のアンテナを持つ人である。まだ初心な光石から絵付けのインスピレーションというかヒントを得ようとしていたのかもしれない。
以上正確を欠くところは、ご寛恕いただくとして、上述の事柄は断片的ではあるが、滝口のエートスを形成する上で影響を及ぼしたことだと思う。あの懐かしき場としてのトポス、その場裡で感受する滝口のパトス、そして形成された彼の際立つ個性としてのエートス。これらが相まって滝口の作品がある。筆者は詩情あふれる色絵の世界にこの人の真骨頂を窺う。それらはよき時代と、京都という地の特殊性と、滝口の知性と感性と教養がケミカルに混ざりあったものである。さらにかいつまんでいうなら、横文字ばかりで恐縮だが、高度に洗練されたアマチュアリズムと詞藻ゆたかなロマンティシズム、もう一つ風流と韻事の世界へ人をいざなう独特なディレッタンティズムといったもの、彼の色絵の世界にはこれらが見事に表白されていると思われるのである。
滝口和男展、弊館では二度目の個展であります。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。
葎
Kazuo TAKIGUCHI
1953 京都五条坂に生まれる
1989 日本陶芸展「秩父宮賜杯グランプリ」
1990 MOA美術館 岡田茂吉賞展「優秀賞」
1991 五島記念東急文化賞「美術新人賞」
日本陶磁協会「協会賞」
1992 イギリスロイヤルカレッジオブアート修了
1996 京都府文化賞奨励賞受賞~
1997 Solo Exhibition(installation to the church)