平成三十年戊戌、謹んで新玉の御慶申納め候。皆様ご清祥にお過ごしのことと拝察申上げます。本年も相変りませず何卒のお引廻しをお願い申上げます。ギャラリー器館一同拝
本年初頭を飾っていただく加藤委展である。足掛けにすると四年ぶりになると思う。以前はもっと詰めてやってもらっていた。こちらとしては出来得れば毎年でもといった、残酷で欲深い腹があるのだが、それはさて措き、とにかくやってくれるというだけで有難く、また彼との二十年以上に渡る縁というか、その長きを思うと、よく懲りずに付き合っていただけたものよと感慨深く、これからも嫌われないかぎり、縁切りされぬよう、ぎりぎりセーフのところかもしれないが、好いた人を思うような気持ちで控えているのである。
彼のキャリアも、もう何年になるだろうか、はや歳も五十を越しているはずである。この間、彼はものを生(な)しつつ疾走してきたように思う。その疾走ぶりには目を瞠(みは)らされるものがあり、あの危ない橋を渡りきったような作品がものをいって、容易には余人の追随を許さない、現代陶芸シーンのトップランナーの一人であったと思う。本当によくやってこられたと思う。しかし加藤とても人の子である。ときに倦み、疲れ、枯渇し、なにかがポキッと折れそうな気落ちになるときもあったであろう。そしてそのようなときを幾度も乗り越えてきたはずである。乗り越えて彼の今があるのである。
ここにだいぶ昔に加藤が吐露した言葉がある。彼がまだ三十代のころである。秀逸なインタビューとなっているので、掲げたいと思う。インタビュアーは本職の記者の外池彰男という人である。曰く…、
●この野郎っとか、思って挽いているー
ロクロはある意味、暴力的なところあるよ。こっちの勢いで土をねじ伏せてるようなところがある。土の生理に従ってすーっと立ち上げてるだけじゃないよ。この野郎っとか、思ってやっているもん。形をつくるっていうのは、土の生き死にを決めることでしょ。難しいね。もう野生のカンだよ。水挽きで土を伸ばしてると、あともう一秒でその形が崩れるって限界があるの。すごくデリケートな状態。でもね、そこまできて初めて土が生き物になるのよ。その先、ほんのちょっと我慢して、崩れる寸前ぎりぎりで指を離す。ぱっと放して、まだいくらかロクロが回ってる。すると揺れてピュッと形が少し変化する。それからロクロが止まったその瞬間にも、またピュッと揺れて形がズレる。形を決めるときは、その二回のピュッも計算というか、込みでやっている。だからできた形は、手で挽き上げた形とはわずかに違う。でもそのわずかな部分がすごく大事なの。自分の手の仕事にプラスして、その自然な揺れみたいなものがうまく決まった形が、生きた土の形だと思う。トレトレピチピチの瞬間冷凍みたいな感じ。ほんと、瞬間芸だよ。なかなかうまくはいかない。ただね、指を当ててる時に決まったまま動かないような形は、死んでるんだ。
●あのオブジェは最初、皿だったー
青白磁のオブジェは皿が変化したっていうか、展開したっていうか。自分のなかで膨らんであれになった。考えたっていうより、理想的なフォルムを追求するなかで偶発的に生まれたって感じかな。だからあくまで皿なの、あれは。それが一冊の作品集になってしまって、そういうものを期待されるようになって、正直、しんどかった時期もある。あれは生乾きの磁土をナイフとか包丁で切ってつくる。切れ味がどうとか、痕跡がどうとかいうより、刃物を持つっていう気持ちがあれをつくるためにはとっても大事なんだ。器とはまた違う集中の仕方をしている。アンバランスだったり、鋭かったり、そういう形にすればするほど亀裂が入りやすい。磁器土に入った亀裂は、固まってどっかで止まるってことがない。最後は貫通して崩れる。だから癌細胞の摘出みたいに、亀裂が走りはじめた部分をすぱっと切り取るしかない。成形より、乾燥過程の、その亀裂との闘いの方がきつい。眠れないこともある…。
加藤のロクロの時間は冗長なものではなく、間髪の連続なのだろう。ほとんど静止に見える間髪に反応できる彼がいる。危うい造形においては、素材をぎりぎりと攻め立て、とことんまで泣かせている。素材を愛するが、一方で素材に打ち克とうとしている。余人には御し難い素材に。まさにこの野郎っの精神である。唐突だが、加藤はここ数年苦しんでいたように思う。しかし昔の彼の言葉の端々に表れているものは、やはり天才肌の人間のもの謂いであり、制作のなかで彼のみが発見できる感覚的なものに満ちている。このときの彼は初心のままの心で冒険し、その心は美の驚きに生き生きと輝いていたのではないか。幾度でも初心に返るということをしていただきたい。そして継続である。そして、Next One!である。-葎-