高柳むつみとは、ここ数年毎年個展を重ね、今展で5回目となった。彼女のうちに、格別で抜群なるものを見てのことである。もちろん、こちらから懇望してのことである。そうでないと連続5回とはならない。そして高柳のような、天稟ある人が作るものの経過と変化を見続けられたということは、一つの僥倖であると思っている。
この間、彼女の生活にも変化がやって来たようである。それは移動であったり、結婚であったりする。その外にも、さまざまあったと思うが、彼女の場合、これらの外部からの変化はプラスであったり、制作においても、新たな発見をもたらすような善きものであったようだ。そこが彼女の徳といったものであり、また彼女の作品が志向するところとも相まって、自身の作るものそのものが、なにか善きものを彼女に招来させているようにも思われる。なぜなら、作品にはその人の精神が顕れ出でるからである。
高柳の作品が志向するものとは、それは、一人よがりの自己表現に奔ったようなものではなく、なんというか、もっとずっとスケールの大きなもののように思われる。彼女自身は、べつに宗教とか、哲学しようなどと思ってもいないだろうが、その作品は、はからずも多分に宗教的であり、また哲学的なものが匂い立っているように思われる。それも難解で不健康なものではなく、本格的でいっそ健康的である。そういったものが、彼女一流のポエティックな感性を通して表現されている。彼女の心魂にたゆたう詩藻はとても豊かであるようだ。芸術の人に、是非ともあらまほしき感性を、しっかり生得に具えているように思われる。この世界を微視的かつ巨視的に視る複眼的なまなざし。コスモスの美と秩序に憧れ驚く感性。私たちを超越する永遠なるものへの志向。
芸術は宗教や哲学と目的的に同根のものがある。彼女の世界は、これからさらに深まっていくのではないか。ただし無理なくナチュラルに。女性特有に。そして思想性さえ帯びて来るのではないかと、そんな勝手な期待を一人抱いているのである。-葎-