日本語でアイドルといえば、若い人気芸人というほどの意味で使われているが、本来、アイドル(idol)の意味は偶像とか神像をいうのであって、語源的にはイコン(icon)と共通のものがある。イコンは聖像といった意味である。ちなみに今回ひとつ勉強したが、ラテン語のイドラ(Idola)というのは、偶像は偶像でも、正気を欠いた盲目的な信仰や尊崇の対象としての偶像のことらしい。思うに、人はつねに容易にイドラ的なるものに惑わされるから、イドラという語には、批判的意味合いがあるという点で哲学用語のような感じである。以上の単語は、遡ればすべて頭のなかのイメージを意味する古代ギリシャ語(eicon)に行き着くという。言葉の遡りは面白い。
高等宗教というか、世界宗教であるキリスト教やイスラム教、仏教も、そもそものはじめは偶像も経典もない。あたり前の話である。眼前にブッダやキリストやムハンマドが存在したのだからその必要もないわけでる。そしてこの三人の教祖たちはみな揃って偶像崇拝を禁じている。生前も死後もダメだと。偶像など作られ始めたら混乱のもとであって、もってのほかだと考えたのだろう。宗教的核心はもっぱら形而上のものとして、精神とか心魂のなかに在るものでなければならないということであろう。聖書や経典さえ後世のものである。文字のなかにもないということであろう。しかし禁じられたはずの偶像が陸続と群れをなして現れるのである。近世のヨーロッパでは、宗教改革の際に再び偶像との決別を誓ったが、一方で、ほぼ同時代のルネサンスの芸術家たちは、昂ぶる情熱のままに偶像を作りまくっていたのである。仏教はといえば、はじめからグズグズで、ブッダの死後そんなに時を経ずして仏像が現れることになるのである。
とはいえ信仰とは絶対的確信であり、歓喜のパッションの奔出を伴う。その発露が物的な造形へ向うのは自然の流れだと思う。それは人間精神のみがなせる行為、神のまねびでもある。これが芸術の発祥ではなかったかと思われる。説かれた、書かれた言葉だけではリアリティーに欠けるのである。書かれてあることを理解できない人間だっているのである。書かれたものは、人により解釈により悪魔の呪文ともなり得るのである。それよりも物的造形である偶像に面前し、頭ではなく、感覚的に直観的に会得されるもののほうが、宗教的体験としてはより健康なもののように思われる。あやまたずにその宗教の言わんとしていることが心に刻まれるということがあるのではないか。人は生きている限り迷っている存在である。偶像に宿された善なる魂魄に触れて、あるいは超然たる美に気圧されて、一時にせよ無明の迷いに光が差す。そこに偶像との一対一のリアルな感応や問答、あるいは自省が行われるのではないか。そして自己の悪や卑小さに気付かされることがあるのではないか。
芸術は宗教に随伴しつつおびただしい偶像の群れを生み出してきた。芸術の歴史は宗教に侍(はべ)り従うものであったともいえる。芸術は、宗教という人間精神の最上位の価値体系の内に題材を求め創作してきたのである。その題材、モチーフは、創作のパトスをかき立てて止まなかった。いわば、根本のところで芸術をすなる人種は、みな偶像崇拝者なのである。そして現代の芸術家たちは、信仰を失って、あるいは神を殺して、そして様式を見失って、迷い子になっているのかもしれない。現代の芸術はどのような偶像を私たちに提示し得るのだろうか。
写真の津守愛香のフィギュアリンは、一つの立像として成立していると思う。撮影用として来たものを何日か見つめていたのだが、なにかを内に湛(たた)えながら、結構な圧でもってこちらに迫ってくるものがある。それがどんなものか説明に窮するのだが、彼女はこれを〝花柄のこ〟と題している。童女だろうが、筆者には人でもなし神仏でもなしといったダイモーン的な、なにか人外の存在のように思われてくる。そのようなものとして真に迫ってくるのである。五弁の花を全身にまとって、この世のすべての花卉の生成変化を差配する花の精のようだ。目には目力がある。その目でこちらを見すえる表情には、匙ひと掬(すく)いほどの毒気を感じさせる。しかしそれは毒単味ではなく、薬にも転じるような善悪あわせ持つ毒のように思われる。言えば言えるようである。それはこの作が言わしめるのだろう。この作品、毒にも薬にもならぬような、言っては悪いが薄っぺらな現代美術的なるものとは一線を画して秀逸だと言いたい。
彼女二回目の個展であります。フィギュアリンを中心にうつわにも力を注いでくださっているようです。何卒のご清鑑をお願い申上げます。-葎-
Aico TSUMORI
1979 滋賀県生まれ
2002 京都市立芸術大学卒業
朝日陶芸展入選(’03’05’06’)
ホワイトキューブギャラリー(京都)
2003 日韓若手作家交流展出品(滋賀県立美術館)
女流陶芸展新人賞
ホワイトキューブギャラリー(京都)
2004 滋賀県立草津文化芸術会館 中庭作品展
同時代ギャラリー 陶の器展(京都)
2005 京都髙島屋美術工芸サロン
2006 土岐市織部の心作陶展 銅賞
2007 長三賞陶芸ビエンナーレ 奨励賞
2008 京都髙島屋美術工芸サロン
2009 神戸ビエンナーレ現代陶芸展入選
2010 ギャラリー陶園(信楽)
2011 滋賀県立陶芸の森 陶芸館ギャラリー
2012 Art Rin(京都)
2013 ギャラリー器館(京都)
2016 第6回菊池ビエンナーレ 優秀賞
津守愛香展Aico TSUMORI
Fairy but Something Divine
4/28 Sat. 〜 5/13 Sun. 2018