-不安な時代-
おとなりではなにやら奇声を発しながら、斧か鉈のようなものを手にして振り回している隣人がいる。ときどきこちらのほうへそれを放り投げてくる。あぶなくてしょうがない。いつのころからか定かではないが、隣人は変な人になってしまった。最近は病的ともいえる。なんぼなんでももううんざりということで、町内でなんとかしようということになってきた。しかしなんとかしようという気運が高まるのはいいが、不安感や厭悪(えんお)感が、いやましに募ってくる。やっかいな隣人と接触しなければならないからである。そして、いよいよ組み伏せるにせよ、後の面倒を見るにせよ、はたまた愛するにせよ(ジーザスは隣人を愛せよともいう)、正対せざるをえない仕儀になるだろうからである。とても憂鬱なことである。
今や私たちは、戦争か平和かの分かれ道にいるのかもしれない。それは目前のことなのかもしれない。もし問答無用ということになれば、まっ先に原子爆弾かなにかの犠牲になるのは私たちのような気がする。そうなれば、私たちの生活も文化も大きく毀損されることになるのだろう。しかしながら、広く現代の不安というものを見れば、それは隣人の一事に限られることではないともいえる。さし迫った、あるいは遅かれ早かれといった、戦慄すべき破壊を前にしているのが現代の不安なのであって、これはもうあと戻りのきかない、どうにもならないもののように思われる。私たちはそのような不安の時代に生きているのだろう。夜も眠れないくらいである。
しかしながら、この現代の不安、私たちの漠然たる不安、目前の不安、それは今に始まったことではないのではないか。漱石の小説の登場人物などは、みな不安を代表しているような人物だとも見られる。芥川は、漠然たる不安という言葉を残して自殺した。思えば、不安も久しいものである。それは明治時代から続いている。だから近代からこのかた、不安でない時代などというものが、いったいあったのかどうか。
そもそも、しょせん人間の存在そのものが不安なのである。洋の東西を問わず昔から私たちに教えられている智慧も、ただそのことを了見するのに尽きるといっても、それほど言いすぎではないだろう。破局は到来するかもしれない、しないかもしれない。しかしながら私たちがやがて死ななければならないとういことほど、決定的でもなければ、また必然的でもないのである。時代の不安のなかでいかに生きるかといった、外部的な余計な問いよりも、ただ人生をいかに生きるかということのほうが、よほど一大事であり、筆者などはそれでもう手一杯なところなのである。件(くだん)の隣人が煩わす不安など、あほらしいと思いたくもなってくるのである。
私たちの未来はだれも知らない。隣人ご自慢のアトミックボムを待つまでもなく、明日にも天変地異があるかもしれない。交通事故もあるし、サイコパスや強盗に出会うこともある。頓死ということもある。人間の存在の不安というのはそういうことである。人間はだれでもすでに死刑宣告をされているのである。それならいっそ快楽主義者として歓楽をつくして死のうか。しかしこの世には、美食や飲酒や淫欲におぼれるみたいなこと以外には、何もすることがないのだろうか。なにか一つでもいい、もっといいもの、善美なるものがあってもいいのではないか。人生いかに生きるかという問題はちょうどそこから始まるのだと思うのだが…。例の隣人のことなどどうでもいいと言いたい。この世にも楽しい仕事や熱中できることはたくさんある。まあご一同様、人生を楽しみましょう。Carpe Diem !
梶原靖元さん五回目の展であります。このようなスペースを主宰する者としては僥倖であると思っております。彼の作品は、唐津を拠点として時空間を深く広く遊弋するものであります。歴史に対しては深く垂直に狂いなく重りを沈め、地理的には焦点を定めた渉猟によって、自己の依って立つところとの連関と差異を裏付けるといったもので、彼のその歩みは、なにか浩瀚(こうかん)な物語を紡ごうとしているかのようにも思えます。スケールの大きい人だと思います。そして素材に対するに潔癖すぎると思えるほどの接しようは、素材のピュアリティーといったものに重きを置くものであり、果然、彼の生すものは美しく、掌中の珠ともなり得るのだと思います。何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。
写真の片口は、韓国南西部の雲岱里(うんでり)という古窯跡の陶石を使ったものです。およそ五百年前、粉引の源流とも目される窯のようです。窯出ししてすぐに、桜の木でウブ染めを施してあります。-葎-
梶原靖元展Yasumoto KAJIHARA
A Poet of Fire and Stone
5/19 Sat. 〜 6/3 Sun. 2018