禅語で●▲■というが、禅でのその意味はさておき、筆者はそれは何か幾何学的な純粋形相というか、超越的な絶対形相といった、イデア的なものを言わんとしているのではないかと思っていた。昔から禅ではしばしば揮毫(きごう)され掛物にされてきたところである。真●と真▲と真■。これらは本来人間の手では描けないものなのだろう。いや▲と■は線分と線分との接点が得られるから一応は描けるか。しかしたとえば、その三角形から四角形、さらに六角八角十角…百角…千角形と描いていくとする。そうすると円に近付いていく。その過程にある程度までは私たちの感覚でも付いて行けるだろう。しかし千角形と千一角形の異同はもう感覚できないだろう。そこに見えるのは、真●のように見える疑似円、近似の円なのである。数学はからきし苦手だが、直径が1.0の円の、円周の長さは3.14だという。これも近似値である。円周率π(パイ)は3.14と教わっているが、実際は小数点以下、何十兆と際限なく続いていくという。スーパーコンピュータでも、その小数展開の循環性とか、あるいはそれが乱数列なのかどうかさえも答えが出せないのである。πが無理数のみならず超越数といわれる所以(ゆえん)である。すなわち私たちは円を見てそれと思いなすことはできるが、絶対定数としてのπを持つ円、いわば真如(しんにょ)の円というか、真実在の円は、この世のどこにも存在せず、私たちには見ることも能わず、それは私たちから超越し離在しているものなのである。
加藤委のカオリン系の作品群は、始点において●▲■を祖型としているように思われる…。
「加藤さんの例の青白磁による造形は、もとは●▲■の皿から拡がっていったということを聞きましたが、そうなんでしょ」。「それは考えてというよりも、ご自分のなかで膨らんでいったというか、理想的なフォルムを追求するうちに偶発的に出て来たんですよね」。「いつか加藤さんの作品の志向するところのものはなんですかと聞いたことがありました」。「そしたら一言、絶対美だと啖呵をきっておられましたよね」。「その言やよしと思いましたが、神ならぬ身には無理だろうと小生は思っておりました」。「しかしながらあなたらしいなあとも思いました」。「いやあなただからこそ、そのもの言いにしらけることはありませんでした」。「小生はあなたの工房を尋ね作品を物色させてもらうたびに、何十年も見慣れているのですが、やっぱり美しいなあという感を新たにします」。「これは一種不思議な感覚です」。「あなたの作品はあなたの内奥から湧き出てくるのには違いありません」。「そのときなにかを感じるのですか、なにかを想起するというか思い出すのですか」。「なにかがあなたのパトスに働きかけるのでしょうね」。「小生はあなたの心魂奥深くに●▲■のイデアが眠っているように思うのです」。「しかしそれをあなたはしかと見る、というよりそれが一体なにかを知ることはできないでしょう」。「それはきっとあなたがこの世に生まれ落ちる前ならわかっていたようなものなのかもしれません」。「それにあなたは近づいたり遠ざかったり、あるいは見失いそうになりながら、思い出そう思い出そうとしているように見えます」。「それがあなたの心魂に刻み込まれているからなのでしょう」。「そのような予感がするからなのでしょう」。「純粋形相としての●▲■」。「この世でそれを表現しようとしても結局は仮象に終始するのかもしれません」。「しかしあなたはその絶対美への近接と往還が許される通行証のようなものをお持ちの人だと思います」。「もっともその証文は絶えず更新が要求され、ともすれば薄れてしまったり読めなくなってしまったりするようなものなのでしょう」。「そこに創作の人、芸術の人の不安というものがあるのだと思います」。「しかし克己というか、継続のなかで自分に打ち克ち作品をものすることが出来たときの歓びや達成感は格別であろうと想像します」。「あなたの心魂のうちに内在する●▲■!」。「遠く遠くかすかに見え隠れするそれを印文のごとく作品に刻印しておいてほしいです」。「拳々服膺(けんけんふくよう)ということであります…」。「加藤委さんへ、恐惶謹言かしく」。-葎-
加藤委展Tsubusa KATO
The Immanent His ●▲■
5/4 Sat. 〜 26 Sun. 2019