むかしむかし鴨長明という人が書いた随筆集に方丈記というのがある。国語と歴史の教科書に入っていた。今も載っているだろうか。筆者もひと通り読んだことがある。全篇これ仏教の無常観に貫かれている。人間の既存的なあり方は、根本的に弱く、無力で、はかないものだということを、自然の脅威や当時の時代状況に即して浮き彫りにしてある。長明の生きた時代は平安と鎌倉の、ちょうど革命的端境(はざかい)期であり、政治的にも混乱を極めたカオス状態だった。世も末といった末法思想が流行していた。そんな時代に折悪しく、短時日のうちにいろいろなことが打ち続くのである。大火、旋風、飢饉、疫病、地震といった出来事を、長明は凝視して克明に記している。そしてますます無常観を深くしていったようだ。
疫病の段では…、飢饉の年をようやく越したと思ったら疫病がやってきて、その蔓延は収まるところを知らない。人々は恐怖で正常心を失い、日がたつにつれ極限状態になってゆく…。市中には倒れ伏す人おびただしく、土塀のそばや道端に飢え死にする者は数えきれない。死臭はあたりをおおい、腐乱して変わりゆくさまは目も当てられない。道は死骸であふれかえって、馬、車の行き交う道だになし…というふうに描写している。
当時の人たちは、どうにもならない問題に当面していたのである。収まるのを待つしかなかっただろう。そして疫病にかかるだけの者はかかり、死にゆくだけの者は死んでいったのである。そういう意味では、現代の私たちもなんら変わりはないのかもしれない。しかし今の私たちは、昔の人が夢にも見なかったような世界にいる。わが国の進歩した医療技術とか福祉施策とか衛生環境は、相対的にだが、ほぼ完璧に近いのではないか。貧しい国の有様を見れば天と地ほどの隔絶感がある。私たちは僥倖である。しかしながら、やはりこの災厄の元凶は濾過性の超極微粒子である。息を吸っている限り、誰もそのリスクを免れないのである。だからみんなして共同意識を高め、協力し合わねばならないのだろう。この先のことは誰か知るだが、遅かれ早かれの収束に向けて最も大事なことは、私たちの節制なのではないか(冷静、正気を保っておくという意味でも)。それにしても今回の蔓延を招いたのは彼の国である。彼の国の特定の場所由来なのだから、その発端中の発端のところの事実は、はっきりさせてもらわねばならないと思う。申し訳のなさというか遺憾の意も窺われないのは腹立たしい。
長明の生涯六十余年の間に起きた不幸の連続は、なんだか私たちのこの三十年ほどの状況に似ている。あの阪神の大震災が始まりだったような気がする。同じ年に地下鉄サリンもあった。サリン事件はさて置き、地震だけでも東北の大震災をピークに何度あったことだろう。毎年の台風、大水も凶暴さを増して様変わりしつつある。放射性元素の制御不能の崩壊現象は、ずっと通奏低音のようにやむことなく響き続けている。こんなに不幸が続くのは私たち人間の行いが悪いからだろうか…。そうはいっても、人は誰でも幸福を求める。この事実は誰も否定できないだろう。しかし幸福を求めるから不幸がやって来るのだという逆説も成り立つのではないか。なにが一体幸福なのかといった問題が、ここらで政治とか思想の高みから、まずは少数のすぐれた人たちの間から、この際提起されねばならないように思うのだが、そういった気配もないように思われる。
なんだかニヒリスティックになってきたが、私たちは今、どうにもならない諸問題に当面しているのかもしれない。いや、もともとどうにもならない問題に取り囲まれているのが私たちなのかもしれない。この世界には、私たちの力では解決を許さない問題が存在する。それらは平穏なときには顔を出さないだけである。眼前に現れていなくとも私たちはそうした絶体絶命の不断の脅かしに晒されているのである。今回の疫病のことも、計算外のことが起こったのである。これも人間に対する自然からのしっぺ返しのようなものであろう。高をくくって自然を征服したつもり手なずけたつもりでいても、自然はもともと全体としては、手なずけることのできるものではないのである。
私たちは鴨長明のひそみに倣い、人間の既存的で、根本的な弱さ、無力さに思い至って、より節制的な生き方を考える最後的な機会に今、変なもの言いだが、恵まれているのかもしれない。
今展で四度目となる升たか展でございます。このような渦中ですが、踏ん張って作って下さいました。何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。-葎-
升たか展Taka MASU
Colorful and Purified Happiness
5/16 Sat. 〜 31 Sun. 2020