梶原靖元(かじはらやすもと)を目して、ある著名な美術批評家は〝原理主義者〟と評している。原理主義者というと、宗教的には狂信者というふうなものを思ってしまうが、もちろんそんな意味ではない。梶原の場合、言い得て妙というか、意表をつくインパクトある評言だと思う。
2013年以来ほぼ毎年、今展で七回目となる個展である。こりずによくお付き合い下すったとありがたい気持ちでいっぱいである。この間、筆者も舌足らずな言葉で梶原のことを書いてきた。例によって牽強付会の気随気儘な作文で、作家と関係のない話などを連ねて、でっち上げ気味に〆切をしのいできたが、しかしそれも彼その人と作品に触発されて書かされていたといった感がする。件(くだん)の美術批評家と手分けして、過去六回の個展のうち四回書いてきた。しかし寄せ来る波ではないがこれ以上はもうくり返しである。批評家は現在欧州に研究留学中でお願いすることもできない。おのれの内奥をのぞいてみても言いたいこと(本当に言いたいこと)はすでに尽きているのがわかる。
正直に以下は全き埋め草にて、作文の古い順からの抄録ということで失礼をさせていただきたく思います。彼と作品に対する感想とかオマージュの部分に嘘はなく、かの批評家の大きな捉え方(原理主義者)とも多少は響き合うところがあるようにも思えるのです…。
「梶原は、最も必要なものだけのやきものを作ろうとしているように見える」。
「梶原は、波多親(はたちかし)(桃山期の唐津の支配者で倭寇貿易の立役者)ゆかりの岸岳山麓に安堵する作家である。彼にとってのすべての端緒は、発生的唐津の真の意味でのピーク、その十年に満たないかもしれぬピンポイントの時空間に、最初の杭を打ち込むことだったように思う」。
「梶原の作品は、唐津を拠点として、時空間を広く深く遊弋するものである。歴史に対しては、垂直に深く狂いなく重りを沈め、地理的空間に対しては、これも焦点をしぼった渉猟を行ない、そうして自己の依って立つものとの連関と相違を発見するといったものである。そんな彼のことを、古典の原典にぶつかっていく、真摯な文献研究者のような人だと思うことがある」。
「梶原の、素材に対するに潔癖すぎると思えるほどの接しようは、本物の素材がもつピュアリティーに重きをおくものであり、果然、彼の生すものは美しく、掌中の珠ともなり得るのである」。
「梶原の作るものには、〝美〟〝清〟〝勁(ケイ、つよさ)〟といったものが、同時に現われていると思わせられることがある」。
「始点において、梶原のパトスをはげしくゆり動かした発生期の唐津のエセンシャルな美。おのれの目と心魂で直(じか)に知った美。その美は何処から来たのか。その美の脈絡と系譜を知りたいと思う欲求。梶原は現在の彼の国ではなく、彼のときの、彼の地へ行ってみたいのであろう」…。
断片で申し訳ないが、言っていることは、梶原は〝善き原理主義者〟であるとでもいうふうに、ひと言で換言できそうである。原理と主義。英語で言えばプリンシプルであろう。この語の意味は、芋づる式に広範かつ含蓄が深い。すなわち原理、主義、原則、公理、信条、節義、徳行、行動方針…。これらは私たちが生きるうえでも心すべきものであろう。しかしなかなか困難なことでもある。梶原の場合、彼のプリンシプルは、確信的に斯道(しどう)を進みながら具わったものだと思う。その依りどころは、彼にとっての〝原典〟すなわち古唐津である。かの批評家の原理主義者という指呼には負けたが、筆者は彼を、美への純真な憧れと探究心をもつ〝温故知新者〟とでも言いたい。温故知新も一つの成し難いプリンシプルである。彼はその故にこそ真に迫ったものを生せるのである。
以下は今回の梶原さんの消息であります。
~器館様 DM用作品です。花山里(ファサンリ)。韓国の南。カオリンで有名な山清(サンチョン)の裏手。ひっそりと息づく村、花山里。四百年程前、この村にも美しい白瓷が作られていた。その原料だと思われる陶石(絹雲母)の原石を、そのまま窯につめて焼き上げました。宜しくお願い致します。梶原~
何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-
梶原靖元展Yasumoto KAJIHARA
Searching the Past for a Principle
9/26 Sat. 〜 10/11 Sun. 2020