辻晉堂(しんどう)は、先の大戦の敗戦によるあらゆる価値の顛倒(てんとう)のなかにあって、「早くなんとかして世界の美術の動き方や方向と、その根底にあるイデーを把握しなければならないと思った。何しろ日本の美術家は盲目同然になってしまっていたのだから、そういう気持ちは恐らくすべての美術家の胸の中にあった筈であるが、そういう一転した局面(価値の顛倒)にあっても、しかし、西洋一辺倒にはなり切れないものが私の心の中にあった。だから、私の仕事は戦後次第に変ってきたけれども、それは外側だけのことで、中身は相変らずのものである。戦前の東京には、パンジュウと称する菓子があった。パンでもなく饅頭でもない。その中間的なものであった。近年私の作るものは或いは彼のパンジュウの如きものであろうか…」というふうなことを云っている。辻晉堂は、柳原睦夫が先達と仰ぐ彫刻家である。盲目同然とか西洋一辺倒とか、そういった言葉に批判的な意味合いが窺われる。自身をパンジュウと言っているが、皮とアンコでいえば、中身のアンコのほうが大事だよと言っているのだと思う。
一休禅師の親炙(しんしゃ)に浴した村田珠光(侘び茶の創始者)に”心の文”という文章が残っている。禅思想が如実であり、難解でもあるが、そのなかに”此の道の一大事ハ、和漢之さかいをまぎらかす事、肝要々、用心あるべき事也”というくだりがある。当時は唐物一辺倒から和物への過渡期で、すなわち道具の流行の変り目だったのだが、珠光は”まぎらかす”という一語で、要するに道具本位になるな、振り回されるなということを云っているのだと思う。信楽とか備前といった当時流行の和物に飛びついて、得意になったり通ぶったりしてもみっともないだけだと。すなわち、唯物的なところからもっと唯心的な場所へ移動せよ云っているのだ。和も漢もまぎらかして、すなわち、執著をはなれて自由の境地に一歩でも近づけと励ましているのである。禅思想というのは難解で、抽象的暗示的で、筆者には仮象の世界のように思われて、なんだか”まぎらかされて”しまうのだが、しかしそれはその道に入って修業したこともないからだろう。凡夫にとっての禅思想は難解な様子で、まぎらかされるような体になっているように思う。しかしまぎらかされても、まぎらかされたままでストンと腑に落ちる刹那というのがあるのではないか。その刹那に言語道断の何かが垣間見えるのではないか。そうでなければウソである。
話しが逸脱しそうなので戻せば、ここまできて、辻晉堂も得度した禅思想の人であったが、珠光の言葉と平仄(ひょうそく)が合う。他律的な価値の移動とか顛倒、あるいは流行といったものに対して、それまでの自己を放り捨てて飛び付いたりしないことが肝要ということである。筆者は思うのである。時代の流れには抗いがたいものがあるが、それでも流されそうになっても、頭ひとつ水面から出せるかどうかが芸術の人にとっての必須の問題なのだと思う。何にでも飛び付くような人に自己同一性は期待できないし、そういう人の作るものは信用できないのである。柳原睦夫も、あの何もかもガラガラポンの価値の顛倒を経験した人であろう。しかし富本憲吉や辻晉堂や八木一夫に系譜して、自己同一性をしっかり把持(はじ)し、深い”まぎらかし”の作品世界でもって、一個の見事な”パンジュウ”たり得ている人なのである。八十六翁今なお作りてし已まむ…。何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-
柳原睦夫展Mutsuo YANAGIHARA
The Topological Identification
10/24 Sat. 〜 11/8 Sun. 2020