先日原憲司と電話で話すことがあった。彼は思いのたけ尽きぬ人なのか、言葉が速射砲のようで、筆者の耳と舌は遅れをとるまいとこけつまろびつ後追いすることになる。話のなかで彼は、自分の作品にかなう素材の枯渇のことをいっていた。それと歳による身体的不如意にも歎息をもらしていた。歳のことはさもありなん…。しかしこちらとしては双方合点済みの〆切である以上、そこは越えていただきたく、なにか励ましのようなことを口走るほかなかった。彼にしてみれば作る身にもなってみろ、なにを気楽なことを言ってやがるといったところだったかもしれない。
本格の素材の枯渇、見つけ難さについては、自分にとってこれは致命的であると、なぜなら自分は職人であるから、素材で妥協することは考えられないし、このことが一番痛いという。彼は自身のことを職人であると強調する。職人はある意味で芸術家よりも上等だと筆者も思っている。しかし原の場合は、原一身で諸職の職人を兼ね具えるといった人なのではないか。昔の職人は分業に生きたが、その諸職の名人たちを、原は彼一人のうちに束ねているような人だと思う。いわば親方であり棟梁であり、ものを作り上げる諸職のディレクターなのである。親方は、素材に不足をいう職人がいるとすれば、本当に見つからないのなら方々なんとかせよ、工夫せよと叱咤激励するのだろう。頓挫にあっても選択し、工夫し、状況を打ち破っていく過程に創作の、いや人間の自由というものもあるのではないか。原はそれを自分で自分に言い聞かせねばならないのである。彼は職人の意地というものを立派に持つ人だと思うが、しかし職人ではないだろう。自身のうちに養う諸職の上に君臨する統合者であろう。諸職の行う専門的抽象を総合し、具体へと持って行く人であろう。すなわち芸術の人なのである。また励ましにもならぬことを言っているのかもしれない。
しかしながら、別して原のような人は、作りたいものしか作らないし、また作れないのだろうと想像する。そしてもうこれ以上作れないと思うときがあるのかもしれない。しかしそれなら作ることを止めるのか、止められるのかと問うてみたい気がする。芸術の人が作るという行為を断ってしまうことは、生きながらに死んでいるようなもので耐え難いことなのではないか。それはまた勝負でいえば負けたということにもなろう。自己に対する克己という点で、また作品の享受側、それはしばしば残酷な見物と化するが、それに対しても負けたということになるのではないか。芸術にまで高められた制作を継続することは、常に悩ましく、困難至極なことだと思う。それだけに歓喜の秋(とき)もちょくちょくあるのだろうが…。原はその継続に久しく耐えてきた少数者である。知るべき人ぞ知る作品を生し続けて来た。また享受側の評価と批評を強いるべきものとして、それだけの価値あるものとして、原の作品があったのである。なんだか彼に対してえらそうなことを言っている気がしてきてはばかるが、一般論と取ってもらえれば、要は、芸術の人の道は、作りてし已(や)まむ、そして死してし已まむということであり、どちらかの已むまで精進するしかない道なのではないか。原などはもうその道の高嶺(たかね)に至りつつある人だと思うが、その道を選択した以上、自由裡に意志と選択とそして行為の合致を希求し、自己同一性を苦しくとも持し続けようとし、もって自他ともに裏切りのない作品を作り続けていくしかないのである。世の常の人には容易に歩み難い剣呑な道を行かねばならないということであろう。
またまた岡目八目的な、自分は安全地帯に置いて見物がもの言うようなことになっているようで恐れるが、原憲司もたしか古希を迎えているはずである。そんな彼の来し方に対する心底からのオマージュのつもりと、彼の向後においても〝作りてし已まむ〟まで、原ブランドが屹立し続けていることを願い云爾(しかいう)。-葎-
原憲司展Kenji HARA
Difficuty of The Continuity
9/18 Sat. 〜 10/3 Sun. 2021