-二〇二二年、令和四年壬寅(じんいん)、謹んで新玉の御慶を申上げます-
だれが詠んだか〝元旦や今年も来るぞ大晦日〟という狂句がある。日月の過ぎゆく神速さをいい得て諧謔味がある。年々歳々、年月は私たちにはおかまいなしで去来するが、近年、といってもおよそこの三十年、この世の出来事はめまぐるしく、慶事よりも凶事や災厄のほうが圧倒的で、不安の時代に私たちはいるといっていいのだろう。昔の人は、浮世のことは笑うに如(し)かずといったが、しかしまるで心理学にいう視野闘争のように、人為自然の難儀や天変地異が、こう次々と迫り来ると、この世はしばしば神も仏もないところなのだが、これではあんまりではないかと、神義論ではないが神仏に問い詰めたくもなってくる。
もちろん昔の人だって不安のなかにいたろう。生老病死、我いかに生くべきか、死後の不安。これらには宗教的救済がまだ生きていたと思うが、老いて頭が白くなって、おのれの愚かさに今更に気付かされたりして、愕然とするのは、昔も今も同じで変わりないかもしれない。
しかしながら、現代の不安は昔の人が思いもよらないような複雑な不安と化している。多岐にわたり過ぎているのである。たとえばここ何年、国家同士のメンツ、利欲、そして恐怖心といったものが、政治のベクトルとして露わになってきている。私たちはいま戦争と平和の分れ道にいるのか、それともその両者のどちら寄りの、いったいどのような位置にいるのかといったことを考えさせられる。もし何かが始まって後戻りできない状況になれば、まっさきに核兵器の犠牲にならなければならないのは私たちなのではないかと疑われる。そうなれば私たちの生活と文化はどうなるのか。そういうさし迫った、戦慄すべき破壊を前にしての不安が、現代の不安というものだと思う。鯉江良二はこの問題を、全身で呈示し続けていた。とはいえ出来たものは昔に返らずで、原子爆弾がなくなることはまずないだろうから、ナイーヴだったかもしれない。しかし純情まる出しで、絶対否定の立場から、強烈にものいう作品を制作し問い続けていた。芸術と哲学は同根の兄弟である。鯉江は芸術の人としての本懐をとげようとする人だったと思う。
私たちは、私たちには解決不可能かもしれない多くの問題にひしひしと取り囲まれているように思われる。しかしながら、たとえば原子爆弾による破局の到来は、これをどんなに誇張して考えてみても、決定的でもなければ必然的でもないだろう。この現代の不安、私たちの心に巣食う不安、その不安をあおるエセ預言者たち。いちいちに付き合っていては夜も眠れない。どう処すればいいのか。思うに、しょせん人間の存在そのものが不安なのである。昔から私たちに教えられている知恵なども、ただそのことを悟るのにつきるといってもいいのではないか。〝不安〟をいかに生きるかというよりも、ただ〝人生〟をいかに生きるかというだけのことなのではないか。原子爆弾だけが人生の一大事とはいえない。破局の到来をいかに気に病もうと、私たちがやがて死ななければならないことほど、決定的でもなければ必然的でもないのである…。とここまでは思い至るのだが、ニヒリズムでいうのではない。ただ不安に振り回され苛(さいな)まされるのも大概でいいのではないと思うのである。
私たちにもこの世になにか一つくらい、もっといいもの、もっと美しいものがあっていいではないか。いかに生きるかという問題は、そういう善美なるものへの希求から始まるのだと思う。そして今日を楽しめ(Carpe Diem)でいいではないか。この世にも楽しく打ち込めるものがたくさんある。ここでやっと正月らしくなってきましたが、まあ皆様人生を楽しみましょう。
今回の年頭を飾る吉村敏治展は十年ぶりの展となります。男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よといいますが、十年ひと昔を経ての展、これも縁であります。まさに刮目すべき作品を待望しております。彼の作家としてのこの十年の変化と移動に、筆者は深甚の興味と期待を抱きます。見物側のそういった期待は、作家にとっては残酷なものなのですが、やはりそこは甘受せねばならないのだと思います。彼はオブジェ系と器物系とを往還して、どちらも見るべき作品をものすることのできる人なのではないかと、かねてより筆者は目していました。オブジェのあるものは彼の詩藻(しそう)といったものが窺われ、器物では技術技法に玄人的な域が垣間見られ、うまいなあを思わせる。その造形、姿カタチ、釉薬や化粧によるやつしの表面処理など、彼一流のセンスがあります。まことカッティングエッジな力を持つ人だと思います。
何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。(展は15日からですが、8日から営業いたしております)-葎-