芸術の人というのは、人に頼まれもしないのにもの生(な)す人であると定義することもできる。だれに注文されることなく作っているわけである。もし名をなせば注文引きも切らずということになるのだろうが、それはいつ終わるか知れたものではない。定収入は生涯芸術の人にはないのである。筆者はやきものの世界しか知らないが、やきものも、職人として食えるのならまだしも、作家として立つというのなら話はちがってくる。定収入のない、いわばかたぎでない道を行かねばならないのである。芸術の人の幸せとはどのようなものをいうのだろう。
もう昔の話だが、強烈な印象で残っている光景がある。北陸のある陶芸家を訪ねたときのことである。彼は妻子と仕事場を兼ねた田舎家に住んでいた。通された居間で、まだ若かった彼は、蒼ざめた面持ちで矜持と殺気のようなものを内に秘め座していた。子供たちがほたえるのだろう、畳目はほころびが目立ち、その畳からオブジェかと、ペンペン草のようなものが生えていた。この人大丈夫なのかと心配させるような貧乏が、実感として迫ってきたのである。しかしながら、子供は元気いっぱいで、目は澄み、頬は赤かったのを覚えている。彼の暮らしには大いなる救いがあるのではないかとも思われた。血肉を分けた無垢な魂と戯れて、心洗われるときがあるのではないかと。彼は不承ながらも、分際に応じた生活を甘受し、落ち着いていたのではないか。それは彼の作るものに表れていると思った。美しいものを作っていたのである。あのときの彼の青春は輝いていたように思う。そんな彼も早死にして今はもうこの世にいないのだが…。
この世はままならぬものである。生老病死がそうである。貧乏なども最たるものだが、なおままならないのは、おのれの心である。この現代という時代、物と利便にどれだけ浴しようと、心の安寧はいかにも保ち難いらしい。私たちは雨露はしのげているだろう。今日食べるものがないというのでもない。飲むことができるふんだんな水、高度な衛生環境、健康保険、生活保護…、世界を見渡せば異例ではないのか。なにより今のところ日常身辺に侵奪の爆裂音を聞くことがない。まことによくできたもので(近年怪しくなってきたが)、このような社会を、治まる御代(みよ)というのではないか。ある国の人たちから見ればパラダイスのように映ることだろう。そのような私たちではあるが、心の安寧を欠く人のいかに多いことか。欠落と不遇に耐える心の弱いことか。そしておのれの欠落と不遇の由縁を外に持って行く。自業自得でもあるのに声高に他を難じる。なにかが許せないのである。許せずそして耐えられないのである。そう思う心が、おのれの心を蝕んでいくのである。〝わが生すでに蹉跎(さだ)たり〟とは兼好法師のいうところだが、そういう昔からの知恵を私たちは失いつつあるのだろう。自分の心は自分で御し、自分で満たそうとするほかないのである。
前述の陶芸家は、貧しかろうと作品制作という本懐を全うしようとし、不如意や不遇なにするものぞといった風情で座していた。そして自身をより高次なところで浄化し得ていたのではないか…。本展の村田彩もそのような人だと目したい。別に彼女が不遇をかこっているというのではないが、彼女とてもの生す人である。いろいろ悩ましいことがあるにちがいない。しかし彼女はおのれの道をすでに選択し、この道を一期(いちご)のものと決心して歩んでいる人だと思う。それはだれであろうと随伴できない道である。侵犯を許さない道である。自己実現のための道である。真の自由へと繋がって行く道なのである。それは一種の菩薩行のようにも思われる。筆者は、村田彩はじめ、そのような人たちを羨望しつつ想像するのである。世の中にもっとこういう人たちが増えてくれたら、心の面でも治まる御代となるのではないかと。まこと心というものは、おのれのものでありながら最も御しがたい。
村田彩作品メモ:写真の作品の、中心部の胴は陶土、その他パーツはすべて磁土です。まず一片一片の花弁その他のパーツを練込みで作り、施釉し本焼きします。そしてこれらを支持するための中心部の胴を作ります。これは陶土を用います。施釉はしますが、まだ焼成しません。これに本焼きした花弁などのパーツを突き刺していくのです。乱暴にも思える作業です。ためつすがめつ、全体のフォルムを決めていきます。そして仕上げの本焼成です。磁土のパーツはすでに本焼成しているので収縮しません。焼成していなかった陶土の支持体は収縮します。この陶土の収縮と、陶土側の釉による釉着によって、全ピースが小ゆるぎなく固着するわけです。まことアクロバティックな仕事です。今回は新味が出ています。脚というか触手のようなものが伸びています。脚はすべて地に着いています。どこかハイブリッドな、フラワーキメラといった印象で、彼女独自の境域がさらに奥まったと思います。何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます-葎-