古代中国では万物組成の由来となるものに、木火土金水の五行を立てた。同じようなことを考えるもので、古代ギリシャでも火風水土の四元が考えられている。これらの元気、元素の循環と相克によって世界の成り立ちを説こうとした。かのヘラクレイトスのようにいえば”火は土の死を生き、空気は火の死を生き、水は空気の死を生き、土は水の死を生く”となる。多分に詩的、抽象的でピンと来ないものがあるが、壮大な循環と相克というか、万物流転といった真理を思わせる。輪廻的とも言おうか。
輪廻といえば、昔から輪廻転生の考えのあったことは洋の東西を問わないようだ。前世と後生の問題である。私たちは死すべき者どもとして決定づけられており、死ねば今生から消え去るが、なおその前後があるべきと考えたのである。生死の転換というか、今生のわれはいったん死んでなくなるが、前世からの続きで、死んで鳥になったり、鳥が死んで魚になったり、草木に生まれ変わったり、死すべきもののあらゆるすがたに生まれ変わって、あるいは生じ、あるいは死に、流転のうちに消滅していくという。しかしそのような、異なったあらゆる生に生まれ変わり、苦難の途を流転しなければならない”われ”とは一体なんなのか。輪廻転生の考えは、そこに生死を越えて持続するわれというものを、不滅の存在として前提したのだろう。その不滅の持続者のようなものとはなにか。それを霊魂、心魂、あるいはプシュケーと呼んだのではないか。いわゆる霊魂の不滅は、宗教の根本の措定として必然だったのだと思われる。そして霊魂としての”われ”の自覚が、人を形而上的思索にいざない、神への近接というか、善への志向というか、ひいては宗教的救済につなげられていくことになったのではないか。
なんだか話が抹香臭くなってきたが、思えばやきものも輪廻的産物と思えてくる。木火土金水といった五行のダイレクトな循環と相克から成っているではないか。土は水の死を生き、火は木の死を生き…といった具合に数珠つなぎになりそうである。金(触媒)と火の関係もそうだろう。
升たかの色絵の世界は、いわゆるシルクロードといった大アジアの、今昔の歴史的文化的ストリームを自由に遊弋するものである。東西の混淆地であるオリエントの世界、ジャワ、インド圏までも包含する。モティーフの渉猟範囲は別格に広くボーダレスである。その広大な遊弋の空間を自らセラミックロードと称している。彼はあるモティーフに興を覚え、さて色絵を乗せる段ともなれば、時間と空間の交わるとある場所に、わが身の代わりにおのれの心魂を移動させる。その場所の風土や人々に対する知識と同情を携えたうえで心魂に行ってもらうのである。あるときは中東の山岳地帯の遊牧民のなかへ、あるときはインドの小さな村のなかへ、そこで織りなし染めなし刺繍のかぎ針を刺す女たちに混じって一緒に仕事をする。特殊の装飾世界のなかへ入って行き、詩人の魂でもって彼ならではの大拙の拙といった絵心を遊ばせるのである。これを魂の自由な輪廻出游とでもいうべきか。升たかの真骨頂はそこらあたりにあるような気がするのである。
数えれば今回で五回目となる升さんの個展でございます。升さん一流独自の色絵の世界。それは五彩以上の色彩でもってカラフルに展開します。中国に上絵五彩手というのがありますが、彼の場合、ほとんどの呈色は釉下彩で実現されています。いわば永遠に色褪せぬ下絵五彩ともいうべきものです。そしてあらゆるモティーフに升ワールドが息づいていると思います。この度も何卒のご清賞をお願い申上げます。-葎-
升たか展Taka MASU
Reincarnation for The Soul of Art
9/16 Sat. 〜 10/1 Sun. 2023