「名は実の賓」というが、賓とは賓客のヒンというくらいで、実にとっての名はまこと大切なのである。名は実を、ぼやかしなく過不足なく偽りなく言いあらわしていなければならないと思う。この箴言の出典は荘子との由。筆者は孔子だと思っていたが間違いだった。もっとも孔子様もつとに「必ずや名を正さん」ということを別の文脈で述べている。
作品とタイトルの関係も、名と実に通ずるものがある。写真の植葉香澄の作品は、撮影用に到来したもので初出である。やはりこれにもタイトルあるべしと思い、彼女に問うたところ、まだ定まっていない様子だった。こんなのがいいか、あんなのがいいかと話し合ったのだが、結局落着せず、なにかいいのが浮かんだら連絡を取り合おうということになった。この作品は高さ六十センチほどに及ぶ。大ものである。彼女曰く、翼竜に触発されてのものらしい。翼竜といえばジュラ紀から白亜紀にかけて生きた恐竜の一派で、地球上で初めて空を飛んだ脊椎動物である。後の始祖鳥とは別派の生き物である。億万年前に現れ、およそ七千万年前に他のダイナソーと一緒にあえなく絶滅した。
日程も迫ってきているので、なにかいいタイトルをと思うのだが、彼女にうるさく聞くのも悪いので、失礼勝手ながら考えた。日本語でいえば「ジュラ紀に翼を得た恐竜の精」か。精はたましいというか不思議な力をもつものの謂いである。英語にすれば「Nymph : Jurassic Winged Dinosaur」となるか。少し可愛げな素振りも見せているのでSpiritよりNymphがいいのではないか。英語のタイトルにすると日本語の曖昧性ゆえ、かえってイメージが広がることがある。タイトルと作品がえもいわれぬ呼応、化学反応を起こし、文学的様相を帯びて深まることがある。しかしちょっと長いので「Nymph : JWD」はどうだろうか。JWDとはなんぞやの謎かけになるかもしれない。
植葉香澄、展を数えて十三回目となる。キャリアも二十有余年、その間彼女は子も生し、作品、暮らし、人となりすべて無事である。無事是貴人の如しである。その造形力と、インスピレーション、想起力には、相変わらず端倪すべからざるものがある。写真の翼竜の精は、座禅の姿に似て翼手を前で組み畳み、鎮座してなにをか思わん。手びねりの一体成形、アクロバティックな危うい橋を渡り切っている。正対し凝視されると、見透かされ、問いかけされる思いがする。この作、無と有、生と死のはざまの厳然たる有を、存在というものを押し出して迫ってくるのである。-葎-
植葉香澄展Kasumi UEBA
Nymph : JWD
5/4 Sat. 〜 19 Sun. 2024