天目茶碗は中国由来の、もとは禅院の什器として作られたものである。高台は小さく脇まで土見せで、じょうご状に開くかたちをなし、口縁の作りはすっぽん口といって一度内にややつぼまったのちに外反する。この口縁の形状がものをいって、茶が喫(の)み口のところへすーっと集まってくる。よく考えられているのである。曜変天目は古来第一とされ、現在は三碗が国宝になっている。しかし侘び茶の立場では、灰被(はいかつぎ)天目が筆頭として挙げられていたようだ。いずれにせよ天目茶碗は、禅院という場で使用されるものとして、機能性とともに格別の美意識のもとに特注、焼造されたのである。
仏陀のひそみに倣い、禅院で只管打坐(しかんたざ)に打ち込む修行者は、おそらく禅の発生期ともなれば命がけのものだったろうと思う。慧可断臂(えかだんぴ)の逸話もある。南宋代に海を渡った日本の留学僧も命がけだったであろう。禅院での修行は、執着のなにもかもを削ぎ落とすようなもので、入山してのち、心身がその日常に即するまでは、いったん死に瀕するような消耗と、睡眠不足の錯乱状態のようなところを越えねばならなかったのではないか。
修行者は緊張のなかにある。師匠が抽象的な短句や、謎めいた動作でもっていつ切り掛かって来るかわからない。だが緊張一辺倒ではやはりもたないだろう。ほっとするというか弛緩の刹那というものも必要であろう。それもあって禅院で抹茶の風が広まったのだと思う。また修行者の睡眠時間は短くされる。睡眠は修行の妨げとされているのである。これで目を覚ませというわけである。想像するに、坐禅三昧のあとでしみじみ味わう茶は、息を吹き返すようなものだったろう。そしてたまさかそのときの茶碗が油滴とか曜変だったりしたら、ものの美と茶が相まって、修行者は一つの禅機を経験することになるのではないか。見込をのぞき込んだら美のコスモスに面前するというか…。そのようなものとして修業者の目に映ることもあったのではないかと思うのである。
美はこの世でもっとも確かな、ゆるぎない価値ともいえる。しかしつかまえようとすれば逃げ水のように遠のいてゆく。今展の鎌田幸二は、それを天目のなかに追い求めてきた人である。国宝の曜変稲葉天目は、仏説にいう微塵(みじん)世界と三千大千世界が同居したような絶対美を示して隔絶している。ねらって作られたものではないと思われるだけに、天の出来事のようなものとしての超然たる存在感がある。鎌田の初動は、そこを自身の美のイデアと思い定めることだったのではないか。しかしながら、それを遠く仰ぎ見つつも、どれだけ近づき肉薄しても越えられない間一髪が絶対的にある、せっかくこの世に生を受けた身である、自身の証しとして自身のオリジナリテを刻したいと念じ、修業者のように試行と反復に耐えたのだと思う。そして「燿」という文字を冠して、独自未見の天目を呈示するにいたる。燿変紫光と銘打たれた無二の境域である。筆者は紫がかった色を返してそこにあるのを初めて見たときの印象が今も忘れられない…。
弊館初の鎌田幸二展であります。燿変紫光を中心にそこからの敷衍、バリエーションの展開を期待したく存じます。またこの際、固定的な天目カテゴリーからの逸脱、遊びにも興じていただければと、例の如くわがまま勝手なお願いも申し入れております。さて如何に、大いなる期待をもって到来を待ちたいと存じます。
何卒のご清賞を伏してお願い申上げます。-葎-
鎌田幸二展Kouji KAMADA
-His privileged & convinced coincidence-
6/29 Sat. 〜 7/14 Sun. 2024