画竜点睛(がりょうてんせい)を欠くという。竜を描いて、睛を最後に書き加えて、全体を生かすものでなければ、その竜は天に昇らずというほどの意味である。睛とは目、ひとみのことである。目は口ほどにものを言い、目は心の鏡でもあれば、最後の仕上げが不首尾だと全体がダメになるのである。津守愛香のフィギュアリンにも必ず目が切ってある。目が入っている。非常に神経を使うところなのではないか。
目が生きてるか死んでるかは目を見ればわかる。また目がなにを言わんとしているかということも大概はわかるものである。目は心の内奥を隠しようもなく映し出す。その人がどういう人であるかまでも。ポーカーフェイスを装ってもなにかの拍子に目が裏切ったりする。それは微妙な、幽かな動きである。眉やまぶたと連動し、刹那のうちに見せる動きである。ときに言葉よりも多弁で饒舌である。それが目と目でもって、直截に一瞬で察し察せられるときがある。バッドシチュエーションならなるべく避けたいところである。野性の猿とか野犬に出くわしたら目を合わせるなということを聞くが、人間にも言えなくはないのではないか。見透かされるということもある。一瞥で相手を絶望へ追いやることもある。澄んだ目でいたいと思ったりするが、目というかんばせに穿(うが)たれた二つの穴は、怖い恐ろしいものでもあるのである。
津守が入れる目はダブルミーニングを湛えて奥深い。画竜点睛ではないが目は最後に入れるのかと思っていた。菩薩のような、ほとんどつむったような半眼の立像もあるので、目の玉は、手を入れて裏というか内側から付けるのかと思っていた。聞けば目は首から上の造形が一応整った時点で、眼窩(がんか)を切ってまっ先に入れるらしい。それから手びねりで土を足しながら半眼にしたりまぶたをかたち作るとの由。彼女は言っていた。まず目が決まらないと始まらないと。そう言われああそうかと、彼女の作品を思い浮かべ腑に落ちる思いがした。如来の如き半眼や額に切った三眼、怒りの目、見据えられるような目、哀情の目、慈愛の目、諦観の目、涙ナリに穿っただけの目と、彼女の目に対するこだわりが窺われる。造化の妙を感じさせる。その目がものをいい、全体の佇まいを生かして、作品として秀逸ならしめていると思われるのである。
写真の作品はミルキーウェイの目と題されている。ミルキーウェイは天の川銀河である。眼窩に金彩色絵の星が連なり、右目のまなじりには白く雪山?のような山並みが見え赤いリボンがあしらってある。雪山かと思いきや、筆者には目にいっぱい溜めた涙のようにも見える。口は少しくゆがみ、とがった鬼歯が一本のぞいている。そして全身これ花尽くしである。かくの如しである。津守らしい彼女一流独自の作域だと思う。彼女の作品には彼女自身の心のうちの陰翳が現われ出ていると思う。豊かな詩藻といってもよい。人にあらず神仏にあらず、いわばダイモーン的なフェアリー的な姿を借りて、彼女はなにを表現しようとしているのか。筆者の勝手な言い分だが、彼女の作品は、観る者を一つの解消というかカタルシスの世界へいざない導くといった、そのような善き効用を秘めたものだと思われるのである。
今展で四度目となる個展であります。何卒のご清鑑を伏してお願い申上げます。-葎-