写真の窯変した白磁の球体は、径が一尺二寸ある。焼成による収縮前となると尺四は行くのではないか。すると体積はと、昔習った公式を使い計算すれば、およそ30リットル近くになる。この作、大きさがものをいっている。成形は石膏型を2個使った鋳込みである。型の大きさも相当になろう。型をかみ合わせ、磁土の泥漿を湯口から流し込む。ドロッと30リッターである。満杯にしなければならない。総重量は、100キロまでは行かないだろうが、ころ合いを見てそれを持ち上げ、ひっくり返して泥漿を抜かねばならない。前厄の松本治幸は腰のあたりが心配であったろう。相撲を取っているようだったといっていた。
さて型からはずし、バリを削り、本体もカンナで削り極薄にしていく。削りはあと戻りできないから神経を使う。彼はその限界を、手取りの軽重でわかるようになったという。爆発しないよう針で数カ所穴を通し、湯口を碁笥底状の栓でふさいで素焼である。そしていよいよ穴窯での本焼成である。この球体は灰を敷いた窯の地面に直接置いている。灰が熔けずに、眼球の黒目よろしく付着しているのは、接地により熱が逃げるからとの由。薪は松の割木に雑木である。焼成は三日間の酸化焼成である。還元焼成だと白磁の白がグレーに退色してしまう。
彼のものはとにかく超薄手である。手取りは無きがごとき軽さである。しかしそのようなものは中国にもあった。四千年以上前の新石器後期の龍山文化の卵殻黒陶は、胎土の厚さが0.2~0.5mmで、土器とはいえ彼の上を行っている。副葬品で完品はほとんど存在しないということである。降っては明代の脱胎と呼ばれる卵殻磁器があり、ほとんど釉層だけかと見まがう紙のような薄さで、かざせば線刻などによる文様が透かし絵のように現れるという。非常に高度な技術である。人はみなマネッ子である。筆者は彼もこういった過去のものから着想し翻案しているのではと思っていた。しかし中国のそういったものは全然知らぬという。なんだかすかされたようだった。
外からの解釈や深読みや評論などは、作った本人には余計なこと、本質的に関係のないことであろう。言葉や文字をいくら連ねても、作品そのものがそこに現れるわけではない。彼は「ただ自分が楽しく焼けるものを作っているだけです」という。着想は彼の内奥から湧いてきたのか。彼は彼一人(いちにん)の感覚の世界に遊んでいるのだろう。面白いのだろう。スリリングなのだろう。あそこまで薄手の、磁土を用いた困難な造形を、高火度の穴窯のなかへ放り込むようにして入れてしまう。筆者は彼のことを、のほほんとして鷹揚な、性おだやかな人と見ているが、作品は、緊張感の凝縮したような風情で、窯中で火と格闘し、火を殺して、灰被りの相貌で生還を果たしたような様子である。彼は極限の、極北のところで遊ばんとしているのである。そこで生起することを見てみたいのだろうと思う。創作の世界で遊ばんとして遊べる人は稀人である。筆者は、のほほん人の彼の人とナリと、危うきところに遊ばんとしているその姿勢に、満腔のシンパシーを禁じ得ないのである。-葎-
-明けましておめでとう存じます 本年も何卒のお引廻しをお願い申し上げます-